蝋燭だけが引き出しに

月曜からスライドした福祉事業団での面談に行ってきた。状況も全く前から変わっていないので、アルバイトに浮かれません、どうしましょう、みたいなことしか言うことが無くて申し訳無かった。アルバイトに受からないという報告をするためだけに電車とバスを乗り継いで来たと考えたら、そんなに無駄なことはない。ただ、これからの就活を考えて、一つ合っていそうな(今募集しているかは分からないけれど)案件の話を聞けて良かったのと、あと、これは何回か勧められたんだけれど、給料が発生するタイプの職業訓練校みたいなやつの話をされて、今一番、正攻法としてありなんじゃないかという気がちょっとしてきている。軽く聞いた話、4月か5月に募集があって、7月あたりからの開始のやつがあるらしい。このまま確実に死んでいくよりは、適した藁の可能性がある。選択を迷っている時間は、ローソクのように短くなっていくばかり。生きるためにというより、死なないために行動を起こさなければならない。帰ったあとは、木曜定例の大喜利放送の準備を進め、夜は久々に餃子を作った。まだ餃子を作れる体力が自分の中にあることに安心した。放送はいつも通り進んで終わり、普通にもう2か月くらいやってることに驚いたりもした。準備自体が酷ではないから、需要がある限りは多分全然、続けられるんだけれど、はっきり反応がいまいち分かって(どれだけ価値を抱いて貰えているかとか)いない部分もあり、常に迷いながらやっている部分はある。誰かが喜んでくれていたらいい、自分自体に価値はないけど、自分のやることには価値があって欲しい。生きていい理由が欲しい。それで、きっとギリギリ、頑張れるから。