やがて見る道の果て

餃子を作った翌日は餃子を食べられるから嬉しい、翌日の昼に餃子を食べるために餃子を作っているところはあるかもしれない。匂いの関係で弁当などに入れられないから、家で食べるしかないのが玉に瑕だけれど、餃子の翌日は餃子で最高になることだけは間違いない。ここ数日、朝起きたとき胸焼け?みたいものを感じて、ちょっと焦っている。しばらく寝たりして、午後には大体治まっているんだけれど、年取ってから病気が怖過ぎるので、こういうサインを見過ごして手遅れ、ってことには絶対なりたくない。本当は怖い家庭の医学とかの「ここを逃していたから」みたいなポイントを取りこぼしたくない。続くようなら病院に行かねばならない。精神科すらも今は出来るだけ行きたくない程に財政難だから嫌なんだけれど、命が一番大事なのも間違いない。夜は昨日のキャベツの残りを処理しようと、キャベツ=トンカツということで、トンカツを買ってきてキャベツと一緒に食べた。ソースでも塩でも、調味料一つで無限に食べれてしまうキャベツは凄い。居酒屋でよく出される、塩昆布で味付けしたやつ、家庭でも作れるレシピとかも転がってるから、1回作ってみてもいいかもしれない。そのあとは、通話シリーズとしてデレマスの知り合いのキャロカゼさんと雑談をした。TRPGの話とか、何気に地元が愛知で同じなので愛知の話などをした。如何せん見切り発車で誘ったので、あまり話題を提供できないのが非常に申し訳なかったので、もうちょっと考えてやらないといけないとも思った。僕は、僕が人と話すのを苦手なのを、もっとちゃんと自覚する必要がある。夕方と、それと寝る前に、今日は映画を二本観た。


実はプレミアの付いているおもちゃだと発覚したウッディが、金儲けを企むおもちゃ屋に連れ去られ、その先で出会った本来の自分の仲間と、救出しに来たバズたちの間で葛藤する姿を描いたシリーズ第2作。コミカルにおもちゃたちの冒険を描きつつも「おもちゃの存在意義とは」について、前作からさらに一歩踏み込んで描くようなシリアスな展開も加わり、続編にしてより話としての広がりを見せる作りになっていて良かった。「子供はずっとおもちゃを愛してくれるわけではない」と提示されることで、今後の少年アンディの成長も匂わせつつ、それでもおもちゃとしての自分の本懐を遂げようとするウッディ、前作と入れ替わるように、そのウッディを「おもちゃとして」励ますバズの姿がアツくて、本当に子どもに向けた話としても、子供だった大人に向けた話としても、すごく良い映画だなと感じた。あと、新しい登場キャラのカウガール・ジェシーが個人的に結構可愛くて良かった。3ではどんな展開が待っているのか、今から楽しみである。


偶然出会い、あまりに趣味や考え方が似ていることで恋をした男女 麦と絹が、距離を縮めながらも社会に出ていく中で徐々にすれ違っていく様を描いた恋愛映画。恋の始まる瞬間の美しいときめきと、それが時間が経って移り変わっていく切なさとの対比があまりに現実的に描かれていて、普通の恋愛映画と思って観ると、そのリアルさというかギャップが深く刺さってくる構造になっている、かなり凄い映画だった。「こんな出会いがあれば」というスタートが綺麗なだけに、そのあと恋が、本当に普遍的な展開、どこにでも転がっているような展開なんだけれど、あんな綺麗な恋でも、こういう形に変わっていくんだというのが胸に痛くて、その「劇的じゃない」話が「劇的」に感じる上手さみたいなものが、すごくよく出来ているなと思った。これは自分(たち)にも起きうる話と思わされる、ある種ホラーのような趣があった。終始、2人だけのシーンで進んでいくのに大きい出来事が差し込まれないのに、2人の感情や現在位置は伝わってくる演出も良かったし、いつの間にか物語を近くで見ている自分がいて、だから最後のシーンが辛くてかなり泣いてしまった。マーケティングして散りばめたというサブカルのアイテムも、2人を立体的に見せるものとして、また観る側を投影させる装置として機能していて、本当に細かいところまで作ってあるのが、丁寧であり、残酷とも言えた。菅田将暉有村架純という「まさに」な組み合わせに飛びつくと、思わぬ棘が刺さる。そんな映画だった。「花束みたいな恋を」という表現は、花束が花束としての美しさを保てるのは花束のときの状態だけで、例えば花瓶に挿して水をあげたところで、花束の美しさは保てない、みたいな解釈をしたんだけれど、これはどうなんだろうか。それか「差し出されるみたいに突然やってきた」という意味なのか。公開時も相当話題になっていたけど、それも頷けるというか、人の感想がかなり観たくなる映画なので、観た人は是非話しましょう。