君が名前を呼んでくれた

今日も起きたときに胸焼けがした。寝たら治ったけれど、ちょっと時間が長くなっている気もする。先週末、お酒を飲んだ関係で薬を飲まないで寝たときは何もなかったので、もしかしたら薬が関係している可能性もある。別段眠れているわけでもないから、服用を止めてみるのもありなのか。具体的には何も起きていないけれど、健康診断にも行っていないから、ゆっくり自分の体が壊れているんじゃないかって考えると怖くなる。生きている理由はないくせに、死ぬのはやっぱり怖い。死にたくないってやっぱり思う。このあたり、どうしようもなく人間なんだと思う。怖くなったからってわけじゃないけれど、いつも通り4キロ走った。この前筋トレを勧められたけど、絶対続かなくて嫌になるって思ってやっていない。筋トレもやってみようかな、死にたくないから。特に、苦しんで死にたくないから。夜は電子決済に物を言わせて、出来合いのうどんと納豆巻を食べた。たまに、納豆巻だったらマジでどこまでも食べられるんじゃないかって思うときがある。納豆も好きだし、納豆巻も大好物だ。酢飯に巻いただけで、どうしてこんなに美しく、美味しいものになるのか。カッパ巻きも好きだ。キュウリがもともと好きだし、巻いただけなのによりバクバク食べられるのは何でなんだ。やったことないから、いつか人と手巻きパーティーとかもやってみたい。それも、死にたくない理由の一つに書き加えておくことにする。その後、通話シリーズとしてデレマスの知り合いのぺたんさんと話した。ぺたんさんはデレマス大喜利をきっかけにして、大喜利にかなり意欲的に参加しているので、自然と話題が大喜利の話になって、スプシ大喜利ネット大喜利、あと今週末ぺたんさんが東京に遠征して参加するタイミングだったので、生大喜利の話もした。もともと大喜利自体は見識なかったものの、ラジオの投稿には縁があったらしく、だから入ってきやすいとのことだった。今週末の大喜利をできれば楽しんで欲しいと思いながら、Discordの夜は瞬く間に過ぎて行った。そして寝る前にトイストーリー3を見た。


大学生になったアンディの荷造りの際、誤って保育園に寄付されてしまったウッディたちが、保育園を制圧するぬいぐるみロッツォの魔の手から逃げ出そうと奮闘する姿を描いたシリーズ3作目。前作で匂された「アンディとの別れ」がテーマになっていて、何となくそれは予期していたものの、今まで見てきたウッディや他のおもちゃたちの想いの蓄積が溜まっていたから、最後の最後、アンディの感情が描かれる場面で、もうめちゃくちゃに泣いてしまった。これを書いている今も思い出せば全然泣けてしまう、とてつもなく強い、あれはラストシーンだった。シリーズ通して描かれてきた「おもちゃの存在意義」について、ウッディがおもちゃ自身として結論を出すのがあまりに重かったし、それが本当にカッコよくて、自分自身、いわゆる玩具らしい玩具では遊ばない子供時代を送っていたけれど、人間とおもちゃの関係性、それが人生に及ぼすものについて考えさせられる、本当に良い作品だなと思った。「これから大人になる子供」にも「かつて子供だった大人」にも突き刺さる名作、なんとなくタイミングを逃して見て来なかったけれど、今回ウッディたちに出会えて良かった、心からそう思った。4は賛否あるからちょっと怖いけれど、近いうちに観ようと思う。