制作過程

何かあって欲しい一週間は、何も起こらない月曜日で始まった。登録したアルバイトのサイトを眺め、条件を眺め、そこで働いてる自分を頭の中で眺め、応募をしたり、諦めたり。アルバイトなら、って思った自分がいたことは否定できない、でも今はもう、何も掴めない自分に嫌気しかない。社会は自分と必要としていない。3月、時はもう春といっていい時候である。受験の合否発表のツイートもTwitter上では散見される。旅立ちの季節としての春に、いつまで立ち止まっているんだろうと焦る気持ちが生まれる。冬眠しているにしてはあまり長い期間が経っている。冬眠は、起きて動き出してこその冬眠である。動き出せないのであればそれはただの惰眠だ。結果を出して、この期間を「冬眠」あるいは「充電」それか「助走」と呼べるようになりたい。夜は最早、定番となったラーメンを作って食べた。飽きは経済の敵、これに飽きてはいけない。寝る前にDiscordを覗いたら爪とぎサイファーのサーバーでPARTYさんが作業していて、作っている曲の相談をしたら、簡単なものでいいならとトラックを作ってみてくれるみたいな話になってアツかった。カスみたいな自分でも、クソみたいな人生でも、曲と呼べるもの、作品と呼べるものが本当に作れたら、人生の中におけるバイブスが手に入るような気がする。作った人が死んでも、その人が残した音楽は死なないとよく言うけれど、残すことで生きている内から強くなる、死にたくないと思えることもあると思う。次を作りたいと思うことで、人生にしがみつく一つのきっかけになるかもしれないと思う。果たして、今の自分の吐く言葉に価値があるかどうか、それはいまだに全く、自信を持てないのだけれど。