骨の存在

何となく外に出ていかなければ精神衛生上ヤバいなと思って外出した。と言いつつ、ただ本屋行って本を買っただけ。最寄り駅に本屋がないから隣駅までちょっと歩いただけ。Excelの参考書と、あと前から気になっていた「推し、燃ゆ」を買った。推し、燃ゆ、ページ数的にパッと読めるかなと思って読み始めたら、ぐいぐい読んで2時間くらいで一瞬で読み終わってしまった。

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

 
1人のアイドルを熱烈に追いかける主人公が、その“推し”がファンを殴って炎上したというスキャンダルをきっかけに、自分の推しへの感情と向き合うことで、その先にある自分自身の人生と対峙していく物語。芥川賞受賞で話題になったのと「推し」というキーワードに惹かれて、何となくこれは読んでおかねばと手に取ってみたんですが、これが思ってた以上に重くのしかかってくる内容で、感情にぶっ刺さって来た。単純に推しへの想いを書き殴るだけの話じゃなく、主人公の人生のしんどさ、しんどくしてしまっている自分自身の病気や、周りからの視線をどう受け入れ、どう生きていくかという内容になっていて、それは最後まで決して光は刺さないんだけれど「自分はうまく生きれない」という絶望の先に「自分はうまく生きれないけど生きるしかない」というほんの少しの希望が待っていて、その小さい光に胸を深く抉られた。共感、っていうと急に薄っぺらになってしまう感じがあるから嫌なんだけれど「うまく生きれない」ってところに重なる部分があって、人と同じことも、人が誰でもできるようなことが出来なくても、這いつくばってでも(作中の「二足歩行には向いていない」という表現が特に凄かった)生きてやるしかないという事実というか、それが胸に傷みたいなものとして残った。また、推しに関しての文章で「推しは背骨」と表現されていて、本来自分の中にあるべき「骨」を、推しの中に持つことで、やっと立っている主人公の姿が悲痛なまでに描かれる様、特に推しの最後に向かっていく終盤のスピード感には胸を掴まれる想いすらした。この主人公はそれが推しであり、アイドルだったけれど、人によっては他のモノだったりするかもしれないし、あるいはそれは年齢や成長によって、自転車の補助輪を外すみたいに存在をなくしていくものかもしれないけど、それを長く持つしかない人も確実にいる、その「骨」が例え周りからは理解されなくても、普通の顔して生きていくしかないんだなと、そう思ったら、後からじわじわ込み上げてきて泣いてしまった。「推し」という言葉からの引っ掛かりで簡単に手を付けていいものじゃない劇薬ではあるとは思いますが、刺さる人には深く刺さる物語、そして文章だと思うので、これ読んで気になった人は読んでみても面白いと思います。

 

夜は最近よくやるんだけれど、卵焼きを作って、あと一つメインのおかずを買ってきて食べるというやつをした。ただの卵焼きをメインに据えてから考えるってのもどうなのかって感じだけれど、卵焼きが美味しいのだから仕方ない。それからスプレッドシート大喜利に参加した。3104さんの長富蓮実杯という、いつものデレマスのアイドルの名前杯だったんだけれど、10戦あるうち、自分が出るブロックは自分だけが把握してて、他に誰と一緒か分からないってルールが面白かったし、他の票の流れを何となく把握しつつ仕上げていく感じが良かった。今回は予選からそこまでハマらず、決勝には上がってエンジンかけようとしたものの不発に終わり、マジで最初から最後まで浮上できずで、本当に予選通るだけの人になってきていることに危機感を改めて感じた。「何となくこれはこの程度ウケるだろう」みたいな範囲から抜け出てないというか、周りに流されて深く潜り込めていない部分が強く、勝ちに焦ってるだけでは?ってメンタル面での課題を突き付けられた。大きくウケるには大きく潜らないといけない。他が出せない答えを出すしかない。それが果たして自分にあるのかって言われれば正直いまだに自信持てないところもあるけれど、結果が出るのを信じてやるしかないぜってな感じだ。その後、何となく残ったメンバーでウマ娘の話をしたりした。最近ハマったコンテンツだから、とにかく人と話すのが楽しくて、深夜まで話してしまった。本当に、自分が楽しいことには飽きるまで(飽きてからも)力を注げるのに、それ以外何も出来ないの、たまに本当に死ぬほど嫌になる。きっと、普通の人はもっとバランスよく物事を処理できるんだろうなと思う。人生はリセマラできないし、ガチャの引き直しも無いから、この自分を鍛えていくしかないんだろうけど、そのやり方すら模索中の34歳に明日は来るのか。否。自分から歩いていく他無いんだろうな。