で、銃口はどっちに向いてた?

失業認定の為にハローワークに出向いた。今回の認定を最後にして、受給日数もカウントダウンに入るのが分かっていたので、生活の終わりを自分で確認しに行くような、絶望的な気持ちで向かって行ったのだけれど、窓口で「受給日数が延長されます」と急に言われ、驚きで頭が真っ白になった。聞けば緊急事態宣言の影響で、その期間が離職日にかかっていると特例で日数が伸びるらしく、元々は去年の宣言時にできた特例が今年の宣言にも適用されたとのことだった。2か月。2か月、命が一気に伸びた思いがして、認定を受けたあともしばらくハローワークでぼーっとしてしまった。最近、受給日数の終わりから来る不安で夜もどんどん眠れなくなっていてので、自分の状況自体が好転したわけでは別にないものの、明確に「残りの生きられる日数」が延びたことで本当に心からの安堵が溢れた。帰りに日高屋のラーメンを食べながら、まだ日高屋のラーメンを食べれると思った。思ってから、日高屋のラーメンを食べるより安い食事はあるとも思った。延長の説明をされるときに「これからも求職活動は続けますか?」と軽いアンケートみたいな質問がされて「します」とそこは間髪入れずに答えたものの、果たして胸を張って答えていいのか?とも思って嫌な気持ちがした。胸を張って答えられる毎日を送って、ありがたく日々を生きなければならない。努力なくして仕事は無い。家に帰ったあと、この数日首の痛みを感じていて、いつも季節の変わり目やストレスでそうなることがよくあり、早めに治そうと思って整形外科に行った。今後も日常的に精神科に通わないといけないし、泌尿器科もまだ行かないとだし、医療費が今こそ生活において致命傷になりかねないから憂鬱になる。幸い人生で大病はこれまでそんなに患ったことがないけれど、年齢も重ねてそれもいつまでも笑っていられない。お金の為にも、健康は保ちたい。と言いつつ、夜は気力が沸かず、刺身とか卵焼きで済ませた。肉じゃないからいい、だけの線引きが果たしてどれだけもつのか。それから寝る前に映画を観た。


クエンティン・タランティーノの代表作的作品。ボスから妻の面倒を頼まれた部下のギャングと、同じようにボスから試合での八百長を頼まれたボクサーの2人を主人公にして、彼らがその周りが事件に巻き込まれる1日を描いた映画。実際の時間軸ではなく、断片的に人物たちのシーンを描いていく構成や、処女作のレザボアドッグスよりさらに厚みを増した独特の会話劇が面白く、大きい事件が起きるまでの間が割と長くて冗長ともいえる展開なのに、何故か強く引き込まれて観れるのが凄かった。「パルプフィクション=安っぽい話」という意味があるらしいんですが、1個1個のシーンやセリフに、本当に絶妙に“意味があるように”印象的に見せるのが上手いという感じで、特にそのあと生きてくる部分じゃないのに、こちらに前のめりで見させるのが凄いなという感じがあった。このあたりを指して「意味が分からない、つまらない」と評するのも全然理解できるのは、多分そこが合うか合わないかという話で、自分的にはかなり面白く観れたのでタランティーノの感じが合っているのだと思う。過去の映画の引用やオマージュも相当されてて、映画オタクでもあるタランティーノが「自分が面白いと思うシーン」を積み重ねて作った映画という側面もあって、色々知ってたらさらに面白味が増すのかもしれない。映画を語る上で必要なスタンプカードがあるとして、パルプフィクションは潰さないといけないなという感じがずっとあったので、今回通れて良かった感じもあるし、普通に楽しめたので他のタランティーノも潰していこう。