新しい言葉を覚えたら

最近は金曜の恒例となってきた、しごとセンターの面談に行ってきた。お悩み相談のやつが今週で最後(5回と決まっていたので)だったんだけれど、最後の最後、アドバイザーの人が調べてくれていて、どうやら自分の話を総合して考えると、自分は「場面緘黙」なのではないかとのことだった。マジで初めて聞いた言葉だったけど、聞けば「家などでは問題なく話せるけど、学校や職場など、特定の場所では全く話すことができなくなる」精神的な症状のことで、聞けば聞くほど身に覚えがあって衝撃だった。ともすれば、今までの人生で自分が問題に思っていこと、仲の良い友達や知り合いとは話せるのに、外に出たら、職場に出たら全く話せなくなること、話すのが辛くなること。バイトでいくら職場を変えても、どこでも人間関係を築くことができなかったこと。今、会社の面接などに対して強い恐怖を抱いていること。諸々の出来事を説明する言葉として「場面緘黙」は合点が行った。現に、今だってアドバイザーの人と本当に(これを読んでいる人が想像する以上に)話せていないこともそうだし、場面緘黙はストレスによって症状が変わったりもするそうで、自己肯定感が著しく下がって、元々あったその性質が悪化している可能性も考えられた。そもそも、発達障害と場面緘黙は関係性もあるらしいとのことだった。続けて、アドバイザーの人からは、こういった症状や発達障害もふまえて、障碍者枠での雇用も改めて勧められて、まだちょっと自分の中では正直受け入れにくい部分もあるけど、精神的な症状はすぐにパッと薬で治るようなものでもないし、もうそのあたりに道を見出すしかないのかもしれないという気もして来ている。とりあえず、精神科をもう一度受診してみて、場面緘黙も含めて話してみることにした。帰り道は、会話の中で咀嚼し切れなかった部分を噛み締めながら、もっとまともな人間に生まれれば良かったなとか考えながら電車に揺られた。まともな人間だったら、もっともっとマシな人生になっていたに間違いが無いから。丁度、今日TSUTAYAからクーポンが届いていたので、TSUTAYAに寄って映画を借りた。感染者数5000を超えた東京の中、連休を家で過ごすための娯楽だった。自分の周りで、自分含めて色んな事が悪化の一途を辿っていく。楽しいことが削られていく。外食したかったけど店に当てもなく、ココ壱でカレーをテイクアウトして帰った。そのあと、Discordでスプレッドシートを使って、MCバトル好きで集まって自分が大会をやるとして呼びたいラッパーのドラフト会議を行った。前に1回やって、そのときは直近でバトルに出てるラッパー縛りだったけど、今回はオールタイムで関係無くって感じだったので、選択肢もめちゃくちゃ増えて難しくなったものの、その分好みを強く押し出せて楽しかった。終わったあと軽くラップの話をしたりして、ここの「場面」では楽しく生きられる自分を感じた。明日は連休で唯一、外で大喜利する日になる。自分自身にも、みんなにも、何も無く終わって欲しい。せめて、それだけはと思う。楽しくいたい。楽しくいさせてくれ。