感情の動線

昼からスプレッドシート大喜利の主催をした。大喜利クロスオーバーという、アイマスのアカウントの方でプロデューサーの人対象に募集した会で、またそっちで募集しつつ大喜利の知り合いに声かけて入って貰って、混ざり合う形で行うというコンセプトの会だった。最近近い会も開いたし、去年末あたりには同じ名前の会もやったりしていて、個人的に割と力を入れている感じの会なんだけれど、今回は初心者枠をきっちり分けて募集したらそこがちゃんと埋まって、それだけでもやった価値はあったと思えたし、会自体も初心者の人がガンガン答えてくれた上で、経験者がしっかりウケてくれて、問題なく盛り上がって終わって本当に良かった。強いて言うならお題の精度がもうちょっと頑張れた気がするので、そこは改善の余地があるかもしれない。初心者絡みの会は、特にお題を間違えられないというか、全員ウケて終わることが1個目標としてあるから、精進したいところ。この規模の感じなら不定期で開催していければと思うし、大喜利の枠で見せたい人も全然まだまだいるから(ここが一つ会の肝でもあるし)自分にできる会として、育てていきたいと思う。夜はご飯だけ炊いて適当におかずを買って食べて、それから夢ソン生の下請け放送を聴いた。下請けは複数個あるんだけれど、今日のは自分が贈った曲が流れる回だったから特に聴かなければと思って、その反応などを楽しみつつ放送を聴いた。夢ソンを贈るということは、その相手の人の、ある種、人となりを知らなければならなくて、それをふまえた上で選曲して、解釈違いにならないようにとかも考えて、っていう行為は割と熱量がいる作業でもあって、それを自分がしたということが結構自分の中で感慨深くもあった。今は大分マシになっているとは思うけれど、昔からあんまり人に強く興味を持ったり、好きになったりっていうことから逃げて来たところがあって、実際にそういうことを言われたりもしたのがきっかけで、ある時期からグッとそこを直そうと努力して、人と何とか頑張って絡んだりして、その結果かなり人生が好転したのは、これマジであって。主催をやったり、その為に人に声をかけて協力して貰ったり、たまにふっと、よくやれているな、やれるようになったな、ってのを思う。デレ界隈で色々、放送なり何なりをやっているのも、自分で着実に歩いて来た一つの結果でもあるし、出来ないなりに頑張って良かったとも思う。その上で言うなれば、今人生が終わりかけているところを、そのあたりで手に入れた人の貯金で生きている感じもあって、やってきて良かった、と、失ったらどうしよう、が同時にある。自分の行動は行動として認めたいけれど、その内にある自分自身はやっぱり認められなくて、その足跡を作ったのは自分であるのに、足跡は理解できても足を理解できないみたいな、変な話かもしれないけれど、未だに自分をどうしても受け入れられない。この無職期間の先に、答えがあるのか無いのか、そもそも抜けられるのか。それも、分からないで居る。そして、また日曜が終わる。