祭りの木陰

日中は大体昨日と同じで、違った部分といえば昼が納豆ご飯だったくらい。夜は炊き込みご飯に、豆腐、漬物、玉ねぎのコンソメスープ。品数が案外あって、すごく食事っぽい。なんだかんだで「っぽい」の域を出ないのが自分の自炊らしいといえばらしい。ちゃんと料理を毎日作っている人は凄い。夜はネット大喜利のチーム戦の回答を考えたり、少女Aの二日目の放送を聴いたりした。昨日の放送を聴いて、いや、実際はもっと前の段階で「ダメだろうな」と自分の音源を振り返りつつ思ってて、それでも「まだ」「もしかしたら」って淡い希望を抱いてしまうところが弱いし、全然フラットに聴けてないのに、それでも「まだ」「もしかしたら」と聴き続けて、無事不採用で終わった瞬間、ようやくというか、そうだよなと、確認するように安心するように倒れ落ちた。応募数も結構なものだったみたいだし、選考基準は単純な優劣じゃなく、他との兼ね合いとか、入れるところがなかったとか、色々あるんだろうなと理屈では理解できつつも、シンプルに「落ちた」って事実はどうしようもなく残るし、感情では理屈を理解できず「劣っていた」というifの事実も残った。ともすれば、この界隈でも自分ってのがいささか身内ウケ、っていうと表現が悪い気がするけど、もともと自分っていう人間がそういう性質っていうか、社会性も社交性も人間性もなくて、才能もなくて、おまけに性格も良くなくて、とても良い人間とは言えず、周りが良いようにしてくれてるだけって気持ちが強くて、大喜利界隈からデレマス界隈に行っても、それは変わらなくて、いやみんな優しくしてくれてるけど、この人たちが良くしてくれてるだけで僕には何も無いんだよなって気持ちがあったから、今回みたいにちゃんとした場に出たときポンコツなのがバレてしまった感があったというか、強風が吹いて何もその場に残らないように、自分の両手に何も無いのが確認できてしまって、大いに虚無感に襲われた。何もない自分が嫌になったし、周りに甘えてた自分も嫌になった。知り合いが採用されて素直に祝福できない、小さい自分も最悪に思った。無職になってしばらく経って、いよいよ自分の価値が分からなくなってきている。というか、どうして今まで生きてこれたんだろうか。ただ生かされてきただけなのではないか。「しんどい」ただその理由で開けたレモンサワーが机の上に転がっていく。笑いたい、来週こそは浮き上がる。