薄い線のような氷のような

昨日の夜から急にTwitterにログインが出来なくて、日中、SNSから離れて過ごすことになった。連絡的に不便だったり、当たり前みたいにいつも見ていたものだから、最初は戸惑いしたけれど、徐々に気にならなくなってきて、むしろ「今は誰にも見られなくていい」と安堵感まで生まれてくるから驚いた。自覚が無いだけで、割と普通にSNS中毒気味ではあるんだよなと、それを失ってから気付いた形だ。eastern youthの「矯正視力〇.六」という曲の歌詞の中に「携帯電話を破壊して ようやく世界と繋がった」という一節があって凄く好きなんだけれど、それを思い出した。いつも誰かに見られているような、それでいて人間としてはずっと独りで居るような、そんな現代の感覚を抉り出すようなフレーズで、最初に聴いて以来、たまに脳裏に過ぎってしまう。結局、日付変わるくらいまでTwitterは繋がらなくて、その間にご飯を食べたり、スプレッドシート大喜利に参加したりした。今日は島さん主催の女の子大喜利をやった。再三ここでも触れている通り、好きな大喜利会ではあるんだけれど、この前も言ったように、やっていると自分のエゴみたいなものをただ出す作業になってしまい、また、それを通して自分の何も無さにも気づいていくのがまあ悲しくはあった。借り物の世界観で、借り物の答えをしているような感覚というか、いっそもっと没入してキモく(表現として正しくはないかもだけれど、あくまで良い意味として)なれればいいんだろうけれど、それすら恥じらいを感じてしまうのが自分の弱さというか何というか。丁度、会が終わったあたりでTwitterに繋がり、原因は不審なアカウントと疑われたからだった。全く心当たりが無いので怖いけれど、ひとまず青い鳥に再会できたので良しとする。僕はたぶん携帯電話を破壊したら、もっと世界から離れてしまうと思う。今は特に必死にでも掴んで、ぶら下がって、生きていかねばらない。低い視力で、何回だってやり直す為に。


www.youtube.com