優しくなりたくて冬

職場でちょっとピリついた瞬間があって、最近っていうかちょっと前から若干変な空気が流れててかなり嫌な感じなんですけど、その中で改めてひしひしと感じて辛いのが、怒れない、ってことで、本当に人を怒れなくて仕事に支障を来していて困っている。こっちに100理があるって場合でも、うまく怒れる自信が無いというか、何とか怒らずに済まないものかと悩んでしまう。相手を傷つけたくないという「他人への優しさ」だったらいいのに、自分の中にあるのは自分を傷つけたくないという「自分への優しさ」それのみだから終わっている。怒ることで相手に嫌に思われたらどうしよう、嫌われたらどうしようと思うと何も言えなくなってしまう。いつからかそんな自分の根っこに気付いたとき、結構な絶望があった。Twitterでたまに意見みたいなことを言うときも、なるだけ怒ってる感じを出さないよう気を遣ってしまう。ときには強い言葉を使うことも生きる上では必要なのに、怖くてぼやかした言葉で置き換えてしまう。この先の人生、といっても、もう30をとうに過ぎてしまっているけれど、この憶病な性質は変えていけるのか不安で不安で仕方がない。カウンセリングなどを受けた方がいいのか、真面目に考えている。もっと自由に生きれたらいいのに、どうしてこうも自分を強く抱き締めてしまうのか。ありがたいことに、色んな人に良くして貰ってはいるけれど、こういう自分の弱さを知っているから、それを上手く受け取れない瞬間もいまだにあったりする。僕は僕に優しいだけなのにと思ってしまう。34からでも、ここからちゃんと優しい人間になりたい。


夜からはだいぶ慣れてきた石狩鍋を作って、スプシの大喜利をやった。狂人大喜利会という色んなキモいお題をやる会で、どういう感じになるのか想像つかなかったけど、ちゃんとキモいお題が出て、それに真っ当に答えたりキモさで上書きしたりで、かなり盛り上がって楽しかった。自分は回答であまりエグいことを言えないので、お題の求める範囲内でのキモさでずっと闘った。ウケはしたけれど、もっと振り切った回答でウケてる人のほうがやっぱり輝いていて羨ましくも思ったりした。明日もスプシ大喜利あるし、土曜日もあって、日曜は生大喜利と、今週はかなり大喜利をやる週になっている。スプシに関しては募集したら大体参加している気がするし、生大喜利も最近は毎週で、マジで周りで一番大喜利やってるかもしれない。感想戦以後あたりから、明確な課題が見えて取り組めていて、結果はまだ大きく出ていないものの、1題1題向き合ってウケたりすると手応えも感じられて、もしかしたら今かなり大喜利が楽しい時期かもしれない。あとはこれで結果が出れば文句ないんだけれど、まあそううまくはいかないだろうし、次の大喜利を楽しみに出来るのは良いことだと思うので、この気持ちが続くうちに、汗が楽しいうちに、駆け抜けていきたい。