消えた煙突、煙

ハローワークの面談の日だった。今日は福祉事業団の人を入れての3者面談みたいな感じだったんだけれど、現状の確認や今後の方向性の話をなどまずして、そこからちょっと個人的な感情の話というか「就活する自信」「社会に出ていく自信」みたいなところの話をしていたらだんだん気持ちが落ち込んできて、本当に気づいたらぽつぽつと弱音が口から飛び出して「試験などで、例えば自分以外に4人いたとしたらその4人より自分が優れていると思えない」「自分に出来ることがあると自分で全く思えない」と、言っても仕方のない、宙を漂うだけの煙みたいな言葉を吐いていたらもう自然に泣いてしまっていて、かなり最悪だった。こんな時間がこの場の誰の為にもならない無駄な時間だって分かったし、それも言ったらそれも無駄だった。とりあえず目先の生活のことを考えて、1カ月程度の短期のアルバイトに応募しながら考えていくという方針だけは決まり、罪悪感と劣等感と申し訳無さを抱えて、ハローワークを出た。一体何のために今日来たんだろうと思った。泣くなら家で泣けばいい、そしてそのまま消えてしまえばいい。この自分を救うのは、何度でも言う、自分しかいない。他の誰にも救えない。一旦、軽く働くことで自信が付けばいいなとは思う。福祉事業団の人も「働いて付いた傷は、働くことでしか取り返せない」と、本当に何でもないみたいに良いことを言っていた。その通りだと思う。社会に出て「良い」と思える人間だと自分で思う以外に、もう解決方法など存在しない。帰って晩飯にと肉を焼いたら生焼けで全然美味しくなかった。あるいは、感情が死に過ぎて肉の味すら感じなかったのか。エンバイトという短期に特化したサイトに登録をしたので、全くこういうのはやったことがないから感覚が分からないけど、応募して、受かって、目先の生活をまず何とかする。ラヴィットで生活時間も安定させる。寝る前に毎週定例のサイファーもやった。ビートの中にいる時間が本当に今は楽しい。今生きていきたいと思えるのは大喜利とラップ、そしてもちろん、こんな終わりかけの自分に関わってくれる人のおかげだ。生きる。死なない。生きる。