雪と生活と、おもちゃと

昨日雪の映画を観て起きたら東京は大雪に見舞われていた。ちょっと前に綺麗だと思った景色は、自分が外に出ると思うと一転、憂鬱な景色となった。福祉センターでの面談の日だったので、軽い吹雪くらいに降る中を傘を差して向かった。年が明けて、いよいよ現実的な話をしないといけないということで、どう就活していくかについての話し合いをした。年末に申請した区の補助制度が通れば、とりあえず生活的には延命ができるので、それ次第でちょっと動きは変わるけれど、基本的には行動していくということで、まだ微妙に迷いがあるものの障害者枠で、配慮を受けながら働くのが良いんだろうなとも思うので、そういう手助けをしてくれる事業を使ってやっていくことになるだろうというところだ。帰りも雪が降る中、転ばないことだけ気を付けながら、温かさを求めて足早に帰った。新雪の、まだ踏みしめられていないところを無意識に踏んでいて、子供だった。人生に失敗しているだけの、大きい子供だった。人と接するだけで疲れてしまったけれど、生きるために、足を凍らせないために自炊をした。餃子を作った。普通に焦がしてしまったけれど、餃子を作って食べれる自分がまだ今年も居て良かった。そのあとまた梅酒を飲みながら映画を観た。


トイ・ストーリーシリーズの最新作。前作で新しい持ち主であるボニーの元に渡ったウッディが、ボニーがゴミから作ったおもちゃフォーキーらと共に冒険を繰り広げる話で、3において提示された「おもちゃとは子供の成長をずっと見守るもの」という答えの、その先が描かれる話になっていた。ボニーの元から逃げ出したフォーキーを助けるために奮闘したり、その先で昔の恋人だったボーと出会ったり、ウッディの冒険がおもちゃサイズでありながら壮大なスケール感で描かれていくのとか、敵対することになる人形ギャビーとの物語は、従来のシリーズ通りの安定感があってすごく良かったのだけれど、最後にウッディがおもちゃとして選ぶ「選択」に関しては、少し納得のできないものを感じてしまった。「おもちゃとして子供と過ごす人生」ではなく「おもちゃとして、自分の意思を尊重する人生」を彼は最後に選ぶことになるのだけれど、それ自体の是非というより、それを選ぶに至る根拠がストーリーからいまいち感じられないというか、3のラストにあった納得感を越えられなかったのがたぶん大きいのだと思う。1~3において、あくまで子供の為に生きてきたウッディが、どうしてボニーから離れようと思ったのか。ボーとのやり取りや、彼女の「世界は広い」という発言だけで揺らぐほど、ウッディは軽かったのか、といったところで腑に落ちずに終わってしまった。この4に関しては実際、賛否が分かれているらしく、本当にそれは分かるというか、制作側的にこのテーマは急ごしらえで作ったものではないらしいので、適当に継ぎ足したものではないとしても、ならもっと段階を作って提示して貰いたかったと思う。個人的も3が本当に良い終わり方だったので、もやもやして終わってしまった。続編にしては弱く、アナザーストーリーにしては本編過ぎる、ちょっと浮いてしまった位置に今回の4は感じてしまった。1~3に関しては素晴らしかったので、まだ観ていない人がいたらそれを見て、その上で4についても聞いてみたくありますね。ウッディの旅立ちについて。彼の選択について。