月額3万の命

更新も滞って、昼の記憶についての記述がどんどん曖昧になっていく。不眠が続いて、おそらくうまく起きれなくて死んだように過ごしたのだろう、という考察なのか解釈なのかという記述になってしまうのが哀しい。この解釈はできれば一致しないで欲しいどころだが、どうだか。写真を撮ったりあげたりする習慣があるから、夜はブリ照りを作ったのは覚えている。自炊で覚えた料理の中でも安定感あって、どちらかというとブリより味の沁みたネギを食べている感じがあるけれど、ブリ照りをサクッと作れることは人間のステータスになると思いたい。夜はそれからスプレッドシート大喜利をやった。ヅカマゲドンさん主催の芝崎典子杯という、声優の誕生日記念の大会で、大喜利自体はシンプルだけれど、お題のヒントがメールで送られてくるという、チョクメという実際にその声優がやっているメルマガを基にしたシステムが独特で、その文面が(僕は元を知らないからあれだけど)めちゃくちゃ気合い入ってて面白かった。自分の調子もそこそこ良くて、予選から決勝、詰まることなく答え続けて優勝まで行くことが出来たものの、デカい一発を出したかっていうとそこは微妙で、おそらく誰の心にも残らないまま終わったんじゃないかって感があって悔しくはあった。一体いつまで、こうやって地味で無味無臭な大喜利をして記憶に残らないのを繰り返すのか。残るまでやるしかない、残るくらいのを打つ以外に打破する方法がない、と何遍も言ってるけれど、その力が自分の中にあるのか依然分からない。自分の大喜利の本質とは何なのか、こういうとき問いかけたくなる。誰かの記憶に残りたい、忘れられないくらいウケたい。結局、そんな欲望なのかエゴなのか分からない思いを抱いて、眠りの海に落ちていく他ないのだった。勇んで出した布団は、下がらない気温でまだ使えないまま部屋の隅。