1日の価値

結局薬が効いたのか効いていないのか、よく分からない、いつもの目覚めだった。1回飲んでどうこうって感じじゃないんだけれど、やっぱり昨日の病院は打ち止めにしたい。帰り際にADHD用の回答シートを書いたので、それの結果だけはちょっと気になるので、来週1回だけは行って、それで最後にする。2日連続だけれど、ランニングをした。雨がちょっと降ってて微妙だったんだけど、走ろうと思ったときに走った方が良い気がして、また4キロ走った。昨日今日と、ランニング後にすぐお風呂に入るようにしたんだけど、これが結構気持ち良かったので、今後も走ったあとは即風呂のプランで行こうと思う。夜は宣言通り素麺を食べた。副菜(副菜って何?)として、生姜野菜炒めを作った。炒め物の中の生姜、これがやっぱ美味過ぎるので、手軽に野菜を摂取するのも効率良いし、料理の引き出しの手前に入れておきたい。久々にスプシの予定も何も無くて、それに気付いたときに、これが自分でも怖かったんだけど、結構な虚無感が襲ってきて「今日はもう誰とも何も話さず、一人で終わっていくのか」って思ったら気分が滅入ってきて、お酒も控えるようにしたいからお酒も買ってなくて、これマジでちょっとどう処理しようかと思った結果、急にツイキャスをやった。特に話題も何も無かったけれど、適当に話してたらコメントが勝手に盛り上がって、それを拾っていく形で2時間ほど、気づいたら話していた。精神が終わりかけていたから、本当に助かった。明確に人に生かされた瞬間だった。あんまり人にもたれかかるのは絶対良くないから、多用はしたくないけれど、こういう発散方法もあるんだなと実感できたのは良かったのかもしれない。気分が持ち直したので、そのあと映画を観た。

 
高慢なTV気象予報士フィルが、取材先で訪れた田舎の町に吹雪で閉じ込められ、泊まった翌日から同じ1日が繰り返し繰り返し続いていくという出来事に巻き込まれる様を描いた作品。いわゆる「タイムリープもの」の、もしかしたら一つの走りくらいの古い映画なんですが、フィルとTVプロデューサーのリタとの恋愛がメインで描かれるものの、テーマとしてあるのは「長い人生の内の1日をどう使うか」で、最初は繰り返される1日を自分本位に、欲望のままに使っていたフィルが、やがてそれを「自分の未来の為」「他の人の為」に使うようになっていき、その行為がやがて嫌われていたフィルの人格を変えていくまでに至るというのが、すごく寓話的というか、深みがあって面白かった。毎日毎日、それは何もしなければ何もないままに過ぎて行って、昨日と自分と明日の自分に何ら変化はないまま過ぎていくけれど、明日の自分の為に、その次の日の自分の為に事を成すことで、未来の自分は大きく変わっていく。今まさに停滞の一途を辿っている自分自身に刺さる部分もあり、成長を遂げていくフィルの姿には大いに感動させられた。作中のシーンで「コップの水を、まだ半分と思うか、もう半分と思うか」の例え話が使われるんだけれど、果たして僕は「どうせもう水は無くなってしまう」と考えてはいやしないだろうか。いや、考えているかもしれない。まだ水は思っている以上に残っているというのに。今日をちゃんと生きれば、水は輝き出すかもしれないというのに。