業と書いて何と読む

何も無い、何者でもない一瞬間がまた始まった。感覚がマヒして、この何も無さに何も感じなくなってきているのが本格的にヤバいなと警鐘が鳴り始めている。昨日の疲れが残っていて、何か作る気力が無かったので、夜は麻婆豆腐を軽く作って食べて、食べながらまた人とスパイダーマンを観た。今度は続編の2を観た。

 
前作から2年後を舞台に、スパイダーマンとしての宿命を受け入れた主人公のピーターが、ヒーローの力の代償として恋人や親友、色んなものを失いながら、それでも闘い続ける苦悩を描いた話で、前作が相当重かった上で、それを悠々と越えてくる重さがあって凄かった。周りに打ち明けることもできず、ときに世間から逆風すら浴びて、ときに全てを投げ出しそうになった先で「人を救うことの価値」にピーターが出会う瞬間は、それまでの憎いまでの重さがあったからこそ胸に響いて泣いてしまった。「これ、この先精神がもつのか?」って思うくらいに途中、展開が鬱だったから、本当に監督の話の作りのエグさというか、上手さを感じた。今回も絶対的な悪は存在しなくて、敵役の博士がいるんだけれど、最初から悪として君臨していたのではなく、純粋に科学によって力を求めた結果、その力に取り込まれるという形で、神話のバベルの塔みたいな「過ぎたる力を求める愚かさ」という風刺のようなメッセージを感じるものだった。最後、一つの救いが訪れると同時に、次への布石を持って話が終わったので、近いうちに3も観ないといけないなというところ。マーベル系統の他の話も、余裕あれば追ってみたいけれど、体力がいりそうだ。

 
TSUTAYAで借りて期限が迫っていたので、深夜にもう1本映画を観た。クラッシュ。ロサンゼルスを舞台に、一つの事故を起点として様々な人々が人種間の差別や偏見をぶつけ合いながら、それでもほんの少しずつ繋がったりしていく様を描いた映画。断片的に照らされていく、それぞれの登場人物の人生が交わっていくのが面白いんだけれど、そのまま綺麗に繋がったり、ご都合主義的なものは無くて、映画のテーマとしてある「差別の感情」がむしろ人々を引き裂いたり、哀しい結末を辿ってしまったりと、簡単に終わらせないところが心に痛くて、ずっと祈るような気持ちで人々の顛末を見守った。最後はほんの少しの救いを持って話は終わりを迎えるけれど、ずっと根本にある「もっと違う形で出会えれば」「もっと違う気持ちで話せれば」というモヤモヤは晴れるままで、人間の気持ちが簡単に変わらないということを一貫して描いていて良かった。そして、映画の余韻を胸に残しながら、朝方、TSUTAYAの返却ボックスに向けて走った。誰ともすれ違うことは無かった。