休符の使い方

昨日の体力的精神的疲れがあり、久々に自炊をせず回転寿司を食べて帰った。最寄りの駅的に外食のレパートリーが今まで寿司かカレーかラーメンだったので、今カレーは自分で作るしラーメンはダイエット的に食べれないしで、おのず寿司が残る形になっている。寿司はいつでも美味しいし、優しい。ただ、行く前は「100貫食うぜ」くらいの気持ちなのに、いざ食べ始めると10貫くらいで「もういいぜ」ってなるから悲しい。食べるネタもだいたい固定なので、後半くらいから作業感も出てくる。次行くなら店を変えるなど、何か刺激が求められるところ。あと、いい加減ボロボロになっていたので、革靴の新しいのを買ったりした。1回ABCマートに行って、値段を見てから靴流通センターに行ったらめちゃくちゃ安くて、そのまま靴流通最高センターで靴を買った。シャツもボロボロなのでユニクロにも行きたい。着れて安ければいいのだから、ファッションを諦めた人間の買い物には最早迷いと言うものは無い。どうしてこんな大人になってしまったのか。


昨日文化杯でうまく解けなかったお題を一日考えたりしていた。結局その時出せるかどうかという気持ちがあり、後出しで出すのが個人的にダサいってのもあり、今までしてこなかったんだけど、今回はあまりに悔しいのと、今後のやり方を模索する上でちゃんと考え抜いたほうがいいと思ったので考えた。ネットの長考でも最近こんなに数出してないなってくらい出してみて、自分なりに結構良いのも出せたりはしたんだけれど、冷静に見ると生大喜利で出してウケるんだろうか?と感じてしまうのが大半で、これはこれで課題が強まったような気がしないでもない。そもそも大会の3分間4分間のテンポ感って相当なもので、咀嚼する時間もあまり無く、言葉も流れて行きがちなので、マジでウケるビジョンがうまく浮かばなかった。でも、妥協して自分の大喜利から離れて行っても結局弱いしで、なんかずっと同じ位置でぐるぐる迷っているような気がするけれど、ここで着地点を見つけないと成長にも繋がらない。お題とその場の空気と回答との良い距離感が見つかればとは思うので、まだしばらくは考え続けて、やり続ける他にない。文化杯の決勝を思い起こす。大分凹みも落ち着いてきたけれど、やっぱりあそこに並べなかった(しばらく並べないかもしれない)という気持ちは堪えるので、イメージとしては残しつつ、切り替えて前向きにやっていく。今週末は久々に生大喜利の予定はないので、休んで次へ。その次へ。バスには乗り遅れたくない。