見送ってきた数十本

大喜利文化杯でした。家で食べるか迷って、結局寂しくて参加する大喜利の人とカレーを食べてから行きました。とんかつセットとカレー。カツカレーじゃなく、単体のトンカツとカレーという珍しいメニューでしたが、美味しかったです。明日走る量が増えたけれど。会場はデカめのホールで、普段プラネタリウムとかに使うとかで独特な形をしていて、最初雰囲気を飲み込むのに少しの時間を要した。時間がタイトなのもあって、割とすぐ大喜利が始まって、すぐに自分の番になった。1回答ウケた以外は2問通して手応えも無く、3位まで通過で体感的に3位、あるいは4位かなといったところで同率3位通過。ホッとしたものの、全くエンジンのかからないままぬるっと勝ったような感じで、このままだとふるい落とされる、ギアを入れないとと思ったので、集中!って気合入れて2回戦。まあ、これが1回戦以上にボロボロで、回答自体は出るんだけど、焦って練り切れていなかったり、単純に思うようにウケなかったり、一つも大きいのが出ないまま終わって、ああ、終わったな、って思ったらその通り終わりました。呆気ない。100点出すどころか20点で終わってしまった。20点。15点でもいい。どっちでもいいけれど、力を出し切れなかったのが一番の敗因、何の言い訳も偶発性も無い、もっと言ったら「出し切って何とかできるだけの力」があったのかも、終わってみたら分からない。負けたという事実の前で、ホールの天井は高く高く見えた。


その後の大会を眺めていて、本当に勝っていく人たちが輝いて見えたというか、シンプルにどうしたらこの人たちに勝てるんだろうって呆然とした気持ちになった。アンケートで名前が、とか言ってたけど、そりゃこんなすぐに負けて観戦に回ってたら、勝って第一線に残ってる人たちが挙げられるに決まっていると思った。優勝は、ずっと仲良くて、ずっと大好きで面白いと思っている人だった。めちゃくちゃめでたくて嬉しかったけど、めちゃくちゃめでたくて嬉しかったからこそ辛さがあった。自分が面白いと思う人は、自分より着実に遠くに行ってしまう。こういうバスを、最近幾度となく見送っている気がする。またぞろ人恋しくて行った打ち上げからの帰り道、しんどくなってちょっと泣いてしまった。自分の生大喜利に対する自信が薄れつつある。なんか人より大喜利やってて、なんかたまに勝ったりしてて、なんかいつも大喜利大喜利言ってる、結局どう面白いのか分からない人、になりつつある、なりたくない。でも、今日みたいな大会で結局無力のまま終わって拍手をし続けるしか出来ないなら、自分の大喜利はそこで終わってしまう。小さいウケを積み重ねた先でそれが打破できるのか。1000の練習は1の本番に活きるのか。そもそも、自分の大喜利って人からどう思われているのか。改めてそこから突き詰めるべきなのか。大会に対する反動なのか、ずっとぐるぐるマイナスなことばかりが浮かぶ。吞まれないままに大会のこととか書き連ねると、70人って規模でタイムスケジュール守れてたの純粋にめちゃ凄いし、最後まで盛り上がり続けてて楽しかった。新しく今日この会でバレた面白いと思ってた人とかもいて、大きい大会が果たす役割ってやっぱりあるんだなと実感もできた。そうなった人は自信を持って貰いたい、大きい大会初めてで勝ち進めた人もぐんと誇っていいと思う。そのくらいの価値はこの大会にあった。あとは自分も頑張れれば、ってまた自分の話にUターンするけれども、本当に深刻に自分の大喜利、特に生大喜利に関して疑問符が浮かぶ形にはなったので、これから打ち崩していかないといけない。冗談抜き、教えも乞います。強くなりたい。負けっぱなしで終わりたくない、とかの熱血な話じゃなく、これからやっていけるかの全体の話として、一つ、答えを出したい。限界なんて信じたくない、まだ手を伸ばしたい。お願いします。