埼京線往復

先週に引き続いて埼玉での大喜利。全然このへん普通になってるけど、1時間弱電車に揺られて大喜利だけしに行くの、結構なもんだよなって思う。関西、東北、九州まで足を伸ばしてるから埼玉くらいって思うけど、思っていいのか。楽しいからいいか。いいのである。ってことで埼玉での大喜利でしたが、今回は先週とは違って、大会を模した大喜利で、直近で大きい大会が控えてるってのもあって、気合入れて臨んだんだけれど、まあ、パッとせず。加点審査と印象の審査、2つを越えて決勝という形式でしたが、2週やって、1周目は加点形式を抜けたあと加点の脳のまま印象にいって空回って、2週目はそこは修正できたものの単純にお題が解けずに終わって決勝に届かずで、2回、いや、せめて1回は優勝して終わろうという目標があったので少し落ち込んだ。エキシビジョンで少しだけウケたけど、緊張感のある場面で打てるかどうかの闘いというか、そこで自分に打ち勝たないとやっぱ意味も無い気もするので、結構課題としては残ってしまった感はある。お題にしたって、あとから振り返れば、焦らなければ鉱脈を見つけられたかもしれないし、長いことやってるくせに割とすぐテンパるのはやめにしたいよなって何年も思っていることをまた思った。会としては、本当に直接主催の方にも言ったんだけれど「大会のお題」として作られたお題が本当に大会のお題っぽくて、その上で加点と印象、決勝とでお題を分けて配置しててそれも違和感なかったし、そのあたりのホスピタリティが良くて満足感があった。埼玉での開催って部分で他の会との差別化もできてるし、2回行って2回とも楽しかったので、積み上げていって欲しいという気持ちがある。また埼玉、来ます。


会終わり、先週金欠で打ち上げはいかないと宣言したんですが、帰りの電車に揺られながら不意に寂しくなって、結局戻って参加をしてしまった。本当に意思が弱いし、大喜利後の一人の時間を寂しく思ってる自分が小さく感じて、向かいながら少し落ち込んだ。来週はさらなる節約が求められてしまう。打ち上げはかなり楽しかったんだけれど、打ち上げのテンションで大喜利の指南的な話を人に偉そうにしてしまって、これもあとで落ち込んだ。無意識に、自分が今ダメだから人に何か言うことで満足してないか?ってのもあるし、人間がカスなのに(今日も返さないといけない連絡を一つ放置していたことに気付いりした)大喜利だけこんなべらべら喋ってなんなんだろうってのもあるし、言った内容に関しては間違ってないと思うけど、割と踏み込んだことも言った気がして、すごく申し訳ない気持ちになってしまった。カスの件は完全に自分の過失だから別途善処するとして、満足の件は毎回こういう話をするたびに頭にちらついて変な気持ちになってしまう。果たして、その気持ちはその人に向いていますか?その先に自分の顔がありませんか?と自問してしまう。あと、基本自分から何か言うことはしないし、言われたら返すみたいな感じが多いけれど、なんか気づいたらわー!ってオタクの早口よろしく喋ってしまって、そこにもいつも後悔する。何かそれで得て貰えたならいいんだけれど、果たしてそんなわー!って喋ってる内容に価値があるのかとは思う。大喜利の話をやっぱずっとした過ぎて、そういう内容じゃないときも大喜利の話になると自分でもどこに着地するのか分からないくらい喋ってしまって、大人なのだが、30越えているのだが、と落ち込んでしまう。落ち着いて息を吸い、息を吐いて生きていきたい。ってめちゃくちゃ暗くなってしまってあれなのでちょい足しするけど、大喜利の話から派生してアイマス大喜利の話とか、ライブの話出来てそこはすごく良かった。土日であったシャニマスライブ配信、配信だからなと思ってスルーしたらめちゃくちゃちゃんとライブだったらしくて、かなり観たいやつだった。アーカイブちょっと検討しないといけない。ライブにも行きたいし、外でアイマス大喜利もやりたい。こうして外に少しずつ出れている今だからこそ抱いてしまう希望がある。絶望の「望」を信じたいって中村一義の好きな歌詞があるけれど、それです。それが全部言っている。結局あんまり飲み食いはしなかったので、これから残り物のみそ汁でご飯を少し食べて、月曜の仕事に向かいます。この星でまともになりたいんだ僕は生活で。