歩数計を振り切って

先週初めて挑戦した餃子に二度目の挑戦。
特に前回ダメだった焼き方の部分を調べて、その通りに熱湯を入れて蒸し焼きにしたらこれがかなり上手くいった。かなりパリパリの餃子になった。玉ねぎとキャベツを入れ過ぎたせいで、結構な野菜餃子になってしまったけれど、今の食生活には丁度良い。焼き終えて餃子を食べていると「餃子を焼けている」という事実がじわりと沁みてきた。カレーも餃子も、自分で作るものじゃないという何となくの認識があって、何となく避けてきたものだったけれど、いざ作ってみたらびっくりするほど簡単に出来てしまった。もしかしたら、他にも実は出来ることが自分にはあるかもしれない、と大袈裟なことを思いながら餃子を食べた。自炊が少し人生を変えつつある、あってくれ。


餃子食べたあとは昨日に引き続きスプレッドシート大喜利。今日はラパスさん主催の試供品検討会という、スプシにあまり触れたことがない人向けの会に、経験者の枠で参加した。毎回、本当にマジで新しい人を呼び込んでいて、一体どういう心臓をしているんだとラパスさんには思ってしまう。僕だったら、誘って断られてすぐに折れてしまうのは想像に容易い。会はずっと面白くて、初心者の人も最初からガンガンにウケるし、新鮮な空気で大喜利できて楽しかった。自分もそれなりにウケれたので尚良かった。巷で生大喜利意識調査という、生大喜利のアンケートなるものが内々ながら実施されていて、好きな大喜利の人とか、尊敬する人、ライバル、チームを組みたい人、次にブレイクする人みたいな項目が並んでいるんだけれど、ここ数年行われているこのアンケートで「好きな大喜利」の項目で名前が上がらないのがずっとコンプレックスとしてあり、それを覆したい気力があるので、強くウケると心からホッとする。あげられる人数に限りがあって、かつ個人の好みという難しさはあるからまあ別に仕方ないとも思いつつ、でもこれを仮に印象点の大会に置き換えると、全然負けているんじゃないか?と思って呆然ともしてしまう。最近自分の大喜利に疑問を持っていた原因も、これが関わっていて、ただ少しウケただけでは残らない、強い爪痕がないと誰かの心には残らないんだなと実感して、何か改革をと思い至ったのがある。参加する全ての会、参加した全てのお題に全力でぶつかって、それでもまだ足りないのなら、回答の質を変えていく他ない。他ができない大喜利をやるしかない。いや、去年も同じようなことを思って、それで1年経ってこれっていうのはまあしんどいなとも思うんだけれど、次の1年で何も変えないと来年全く同じ日記を書いてしまうので、まあやっていくしかないですわなという気持ちである。「ただ泥臭く頑張っている人」で収まると思うと、無性に走り出したくなる。大喜利では何キロ走ればいいのか。何マイル走ればいいのか。目の前には霧、手で払っても、霧。悪夢みたいな夜を往く。