その手に持っているモノ

三度目の餃子を作った。
もう流れもかなりスムーズになって、計量もちゃんとやったので味付けも良くなり、焼き加減がまたちょっと微妙だった以外は良い感じだった。3回目だけど、餃子作ってる自分にいまだに感動してしまう。絶対餃子を作る感じの人生じゃなかったから今までは。「餃子下さい」と頼んで待ってるだけの人生だったから今までは。スムーズに餃子を作ってる自分にやっぱりびっくりするし、餃子くらいでって思うかもしれないけど、新鮮に感動がある。次は羽根つき餃子にでも挑戦してみようか。気を抜いたらすぐ同じことの繰り返しに甘んじてしまう自分がいるので、何か次の目標を設定しないと立ち止まってしまう。餃子でもいいし、次の何かを、次の目的地を、設定しないと。


夜からはまたスプシの大喜利をやった。大会形式だから勝ちにいったけれど、最初から最後までややウケを漂って全然だった。どれだけやっても全然の日が全然普通に今もあって嫌になる。こういうとき、強い人はいつも強いのになあ、という漠然とした強い人像と自分を比較てしまう。そんな曖昧な像を見ても何も上手くならないのでやめないといけない。昨日出した後出しの大喜利に反応があって、少しだけだけれど自分の大喜利に自信を持てた。あれを3分4分で叩き出せるかというとちょっとイメージできないけど、自分の奥底を攫ったらまだ答えがあって安心した。これを叩きつけてウケる日まで、研鑽を重ねていく、いけるかもしれないと思えただけ前には進めた。

 
前にもこの日記で書いたけれど、初めたての人でかなり悩んでる人がいたりするけど、本当にこれで、悩むのは分かるけど、悩むほどまだ色々やってないですよって思う瞬間がある。最初の数回でいきなり上手くいくなんてこともないし、もうちょっとだけ我慢して、もうちょっと走ってみて、そのあと走ってきた道を振り返ってみればいいと思う。じゃないと、自分の走り方も、何となくどっちに走ればってのも分からないし、じゃあもうダメだってそこで下を見たら余計に分からなくなる。あと、指南しようにも、どう走って来たかの癖とか、それが見えないと口出すこともできない。本当に一般論みたいなものとか、精神論ならいくらでも言えるけれど、踏み込んだことはとても言えない。なんか月並みな言い方になってしまうけれど、最初は自分なりにしばらく続けて、本当に何となくだけれど自分の特性を知るのがいいと思う。それが合ってるか違ってるかは、その先の周りの反応なりで知るか、あるいはその段になったら直接訊ねても良いだろうし、やみくもに「ダメだ!」ってなるのが一番自分の足を止めてしまうから、本当に、もうちょっと踏み止まって欲しい。その試行錯誤の中で「それ良いんじゃない」って思ったら「それ良いんじゃない」って僕は積極的に言うようにしているので「それ良いんじゃない」って言わせて下さい。全然僕じゃない人が言うかもしれないし、何か実績が来て自分から感じるかもしれない。そしたらそのとき、それをしっかり受け止めて下さい。「それ」を武器にできるかどうかで、そこから数ヶ月、もしかしたら数年が変わってきます。ウケロードへ走り出せるかどうかは、貴方次第。健闘を祈ります。