終わったあと喋る

米を買いました。無洗米2キロ。
どうせ食うんだから5キロとか買えばいいのに、目先のお金を使うのが怖くて毎回2キロにしてしまう。一生貧乏人の心で生きていくんだと思う。


今日も会社で「人に嫌に思われたくない」という気持ちから発生するミスをしでかした。僕の体の中に、水分の次に多く存在するもの、それが人に嫌に思われたくないという気持ち。それの怪物が僕。それが人の形を取っているのが僕。
誇張表現じゃなく、死ぬより人に嫌に思われる、嫌な顔をされるのが怖くて、如実に仕事にも影響しているの本当にどうかしていると思う。子供のときからそうだったけど、何となく大人になったら良くなると思ってた。治らないまま33才になった。11月には34になる。

明確に覚えている光景があって。高校1年の春、学校の行事で泊まりで行く旅行があって、同じ班になったクラスメイトと大富豪ですごい盛り上がり、高校生活に不安を抱いていた僕は「これは頑張れるんじゃないか」と思ったんですが、学校に帰ってきて最初に授業の日。休み時間、その大富豪をやったクラスメイトがトランプを取りだし「大富豪やろうぜ」と言い出して、全然普通に、全然自然に加われば良かったのに、一瞬、本当にその一瞬「お前は違う」みたいな顔されたらどうしようという気持ちが過ぎって、僕は大富豪に加わらず、教室の後ろから聞こえる大富豪の声を聞きました。
その1回が“クセ”になって、以来、大富豪にも、クラスの輪にも入れなくなりました。今でも、あのときクラスメイトが教室の後ろに歩いていくその背中をありありと思い出せます。あのとき、声を挙げていれば、もっとマトモな人生になったんじゃないか。少なくとも、もっと明るく生きれたんじゃないかって、記憶に頭を殴られます。

悪く思われたくないのは、良く思われたいの裏返しで、才能が無いと嘆くのは、才能があると思いたいことの裏返しで、いまだにそんな気持ちを纏って生きていることが嫌になります。BUMPを聴いて勇気を貰っていた中学生の頃ならまだしも、今は来月の健康診断に怯えているおっさんで、藤原基央は結婚したらしい。自分だけが立ち止まっている。

かつて天才だった俺たちへ (ラジオ盤) (特典なし)

かつて天才だった俺たちへ (ラジオ盤) (特典なし)

  • アーティスト:Creepy Nuts
  • 発売日: 2020/08/26
  • メディア: CD
 

 久々にCDを買いました。Creepy Nutsのミニアルバム。
表題曲が本当に良くて、繰り返しこればかり聴いてしまっている。


Creepy Nuts / かつて天才だった俺たちへ【MV】


「かつての天才」と、何も怖がらないで、苦手だと思わないでいた自分を表現しているのが、今の心境もあるのか、ぶっ刺さってしまった。
R-指定は今やラップの化け物だけど、その根底には冴えない学生生活があって「トレンチコートマフィア」とかでも歌詞にしているし、MCバトルでも「俺は2軍じゃなく今や1軍」と、下から這い上がるラインを口にしていて、他の何にでも天才にはなれなかったけど、ラップだけは自信をもってやれた、天才になれたというか。そもそも天才っていうのは、本当の本当にごく1部の、マジモンの奴を除いては、続けたか続けなかったとか、伸ばすか伸ばさなかったかみたいなところで諦めなかった人間がなれるものなんだろうなって思うし、そういう意味でR-指定は天才を目指して天才になったのかもしれない。そして「時が来た」から「かました」だけなのかもしれない。努力の天才って言葉があるけど、その言葉以上に「努力」と「天才」は2個一なんだなと。

R-指定としてはMCバトル観てずっと好きだったけど、Creepy Nutsとしての活動はそこまで追ってなかったし、めちゃくちゃポップだな…って遠い気持ちにもなったりもしてたんだけど、このアルバム聴いて改めてリリックを見て、R-指定の軸はブレてないなと思えてそれも良かったです。最強の童貞は死んでいなかった。最強のロン毛は時代に絡まりまくってた。

「天才じゃない」って「自分には何も無い」って諦めてしまう怖さを、きっと僕は今も抱えていて、だから結局人に失望されたりするのが怖くもなって、大人として死ぬほどクソダサキモいなって思うけど、元よりその漠然とした「天才」はどこにもいなくて、自分がなれる、自分ができる「天才」を目指せばいい。それが何なのか、自分が何者なのか気づければ、楽に生きれるのかもしれないですね。再来月には34で、藤原基央は結婚したけど。

 

 


ゆるキャンを観始めました。
なでしこめちゃくちゃ可愛い!!!