光明、声に出して呼ぶ

久々に何も無い土曜日だった。書類作成もやらないといけなかったが、ゴロゴロとただただ寝ていたら夕方になってしまった。クズが沁みついて骨の髄まで浸透してしまっている。書類を書こうとすると、自然自分と向き合うことになるから、ただただ嫌な気持ちになって落ち込んでしまう。これを治す薬はどこにもない、自分自身で何とかするしかない。カウンセリングについてちょっと調べたら、相場はやっぱり大体1回5000円。月に2回くらい行くにしても1万はかかってしまって破産してしまう。強硬手段として、先に働くほうが経済的に得策と今は考えるしかない。どうしてこんな人間になってしまったんだと考えると、どんどん自分が嫌になるから悪循環だ。本当はこんな文章を書くことも逆効果なんだろうけど、吐き出して1秒でも楽になりたいと思ってしまう。マイナスが次のマイナスの呼び水となる。悪循環。負の連鎖。救いは絶対的に自分の中にしかない。不動として、その事実は立ち塞がり続ける。いまいち食欲もなく、夜はオリジン弁当を買って食べた。改めて、ご飯とおかずと少しの野菜とを、バランスよく向こうで用意してくれると考えると、弁当ってのは便利な食べ物だと思う。おそらく、いや、ほぼほぼ絶対、自分は結婚しない(できない)と思うので、これから先の一生、めちゃくちゃ弁当のお世話になるような気がする。弁当の神社があれば、今から拝んでおきたい。そのあと、神山まるたさん主催のスプレッドシート大喜利会に参加した。なんだか終始賑やかな感じで、変なノリみたいなものからグルーヴ感が生まれることが多く、直近のスプシ大喜利では一番笑ったかもしれない会で面白かった。最後の最後、そのノリをまるたさんの回答が断ち切って終わったのも、ここで細かく説明できないから省略せざるをえないけれど、かなり凄かった。ただただシンプルに笑えて、まるたさんありがとうの気持ちしか無かった。どんなに人生が暗く、光が射さないときでも、まだ大喜利で純粋に笑えるのだから大丈夫、と思いたい。大丈夫だって、思いたい。