回路を繋いで、紡いで

昨日の競馬場の余韻と疲れが残っていて、大喜利会とかに行った日の翌日くらいぐったりしてしまっていた。起きてもまだ体の心が半分くらい東京競馬場にあるような感じすらあった。改めて競馬場めちゃくちゃ楽しかったし、この年になって競馬場に感動するとは、そもそもまだ新しい趣味とか娯楽に出会うとはという気持ちである。何かを始めるに遅すぎることは、って文言があるけれど、自分で体感して見ると本当にそうかもしれないと思う。あとは、ここから人生に復帰するのにも遅すぎることがなければいんだけれど。疲れた月曜日の恒例として、ご飯を作る気が起きなくて夜はつけ麺を食べてしまった。特盛にしたら、案の定途中からしんどくなってギリギリ食べきる形になった。こういう失敗も、もう何年も何百回もしているのに治らない。自分の胃の形も容量も、大人なのに把握できていない。帰って競馬の話をするキャスを軽くやったあと、そのキャス内で勧められた映画を観た。


この前観た「アイの歌声を聴かせて」の吉浦康裕監督作で、アイの歌声を聴かせてが良かったので観てみることにした。アンドロイドが実用化されて間もない時代を舞台に、人間とロボットを区別しない独自のルールで商売を行う喫茶店イヴの時間」での両者の交流を描いたSFアニメ作品。世界観やテーマとしては「アイの歌声を聴かせて」にかなり似通った部分があったので、そこから入ったので見やすかったし、共に生活する人間とアンドロイドの間にある、どうしようもない溝の部分としての「感情」の問題が描かれるのが感動的で、最後はかなり泣いてしまった。姿形がほとんど人間と変わらない最新のアンドロイドが出てきて「人間との差」を問いかけたあとに、旧型のロボット然としたアンドロイドが出てくることで、今のアンドロイドがより人間に近づいて見えるという構成が非常に上手いなと思った。両者を隔てるのが本当に僅かな差でしかないというメッセージがあり、そしてそこから「じゃあ人間とは何だろう」ともなりつつ、イヴの時間も、アイの歌声を聴かせてでもそうだったんだけれど、吉浦康裕は「アンドロイドの感情としての可能性」のほうに舵を切るのが面白かった。学習の果てに進化を遂げたアンドロイドには、人間と大差ない感情すら生まれる可能性がある。イヴの時間で示したかったことの、その次としてアイの歌声を聴かせてがあるんだなとも思った。片方が好きな人はもう片方も好きだろうから、どちらかを観て、その上でどちらかも観て欲しい。いずれもおススメです。