昔々あるところに

失業認定の為に朝からハローワークに行った。これで4度目。いよいよ猶予期間が無くなってきているのを感じて、心の中で傾いた砂時計を無理やり元に戻したくなる。当然、それは見えない大きな力によって止められる。そして砂の速度は増す。早朝のハローワークは、人が少ないけどなんだか騒がしい感じがあって、それは各々から発せられる焦燥感から来るものなのかもしれない。認定を無の感情で受け取って、無の感情で電車に乗り、日高屋でラ餃チャセットを食べて帰った。たまに無性に日高屋のラーメンが食べたくなって、特にすごく美味しいとは思わないんだけれど、ある種の中毒性をもってそれを啜ってしまう。地元愛知に寿がきやというローカルのチェーン店があって、そこのラーメンが好きでよく食べていたけど、今思うとあれも美味しさより中毒性や習慣性から食べていた部分はあるかもしれない。地元に帰れない今、カップラーメンでも取り寄せて食べてみようか。精神科に予約の電話を入れようとしたらまだ盆休みで、こちらの砂時計も悪い方に進んだ。それら全ての砂が落ち終わったとき、自分はどうなってしまんだろう。夜はウインナーと野菜をケチャップで炒める、原点みたいな料理を食べた。料理をした日は、料理をした、という記憶が刻まれる分、生きた感じがある。それから、ほろよいの新しい味はちみつレモンを飲みながら映画を観た。

 
クエンティン・タランティーノ監督作。かつては西部劇でスター俳優として活躍したリックと、彼の付き人でスタントも務めるクリフを主人公に、1969年に実際に起こったある事件を背景に当日のハリウッドを描いた作品。リックの再起などを軸にしつつも、当時のハリウッドをノスタルジックに描写していくのが、見てて時代の空気感を感じられて良かったし、ラストシーンが衝撃だという前情報によってハードルが上がった先で見守った“事件”の結末には、大いに心を揺り動かされた。最後の数分間が映画の肝であり、一番メッセージを含んでいるだろうと思うので、内容にはあまり触れられないけれど、実際の歴史を横に置いて観たその映像は、衝撃的でありながら、ポジティブな意味もあって、この映画が「映画」に向けて作られたものだと感じた。ワンス・アポン・ア・タイム。タランティーノはこの「昔話」の結末をこうすることによって「映画」で「映画」を救おうとしたのではないか。そう思ったら、いささか乱暴なまでに叩きつけられたあの数分間に強い意味を感じて、終わったあと余韻で涙が零れた。また、かつてのスターであるリックの過去が最後に意味を持つところも沁みて、時代が移り替わろうが、世代交代が起ころうが、過去は過去として輝くのだと、そういうリスペクトも、映画の中にはあったのかもしれない。あまり強く内容に触れれなくてあれなのと、3時間と話も長めですが、個人的にはかなり記憶に残る映画だったので、観たこと無い人は触れてみてもいいかと思います。