ライクアバージン

昼を怠惰に過ごしたあと、夕方から精神科に言った。二度目の問診。前の病院から紹介所を送って貰っていたので、それをふまえて手帳どうこうの話という感じだったんだけれど、聞いてみるとやっぱり初診からブランクが空いていたり、間に違う病院を転々としたのが関わっているということで、実際に申請する窓口に電話してみるのがいいということだった。「果たして自分はまともに働けるのか」という問いも投げかけて見たら「診断書見る限り、障害者枠のほうがいいのではないか」との答えが返ってきた。ここでまだ診察していなかったり、なんだかちょっと適当な感じでは無いか?と疑ってしまったのは、これまでの経験から来る悪い癖なのか、正しい直感なのか。結局、病院の先生をいまいち信用できないまま、二回目の問診は終わってしまった。自分は何を求めているのだろう。親身に、顔を近づけて話を聞いてくれる先生を求めているんだろうか。そんな先生この世にいるんだろうか。分からない、教えて欲しい。憂鬱な気持ちで家に帰って、暗い気持ちでサンマを食べた。大根おろしを作るだけの気力はあった。大根おろしを作るだけの気力しかなかった。最近たまに「生きていけないかもしれない」と胸を刺すような気持ちに襲われる。そしてそれに「そんなことはない」と返す材料が自分の中に無いことに気が付く。「明日」の文字のフォントが頭の中でゆっくり弱弱しいものに変わっていく感じがする。何かから逃げるようにお酒をぶち込んで、映画を観た。


クエンティン・タランティーノ監督の初監督作。裏社会のボスであるジョーに集められた、互いに素性を知らない6人の犯罪者が、宝石強盗に失敗した先で落ち合った倉庫で裏切り者を探り合う様を描いた映画。事件が起こるまでを、それぞれの人物の記憶がフラッシュバックしていくことで全貌を明らかにしていく構成の巧さや、冗長とも言えるほど力を入れて展開される会話劇と、その後のタランティーノ作品の“節”ともいえるものが処女作にしてかなり完成されていて驚いたし、緊張感漂う展開に洒落た音楽が混じり合うことで、映画の持つクールさを失わず、最後まで退屈せず一気に観ることができた。タランティーノが影響を受けたという日本のヤクザ映画の「仁義」が話を動かし、そこに含まれる“情”の想いが皮肉的な最期を迎えさせるのにもグッと来たし、残虐なシーンの際にミスマッチともいえるポップな音楽がかかるのには、独特なユーモアを感じて笑った。あと、オープニングの曲と映像が死ぬほどカッコ良かった。タランティーノを知る映画として、かなり入りやすいようにも思ったので、この勢いでパルプフィクションも観てみようと思う。