外の世界、内なる世界

まだ宣言下でしたが、お誘いいただいたのでかさのばさんの大喜利会に参加してきました。お題を各自で出して回していくシンプルな車座大喜利と、短い時間で大喜利する企画と、どれもめちゃくちゃ盛り上がって楽しかった。こういう情勢だからってのもあるけど、久々に大喜利で会う人もいて、そういうとき一瞬同窓会みたいな感覚になるのがおかしい。まだこれから先、当分はこんな感じでやっていくんだろうかと思う。会が終わって、軽くサイゼリアで食事して解散したんだけれど「20時に店が閉まり、家に帰る」というものを体がもう軽く受け入れていて、なんか本当に世の中が変わってしまったことを実感した。テレビでは今日も五輪の是非をコメンテーターが議論し、宣言の延長を匂わせる報道が流れていく。6月も外に出れなかったら、また心が壊れていくのが大いに予想される。一人で立ち上がらないといけない。そもそも何をどう相談すればいいのか、いまだにそれすら掴めないでいる。声を挙げたところで「お前は人として失格だ」の烙印を押されて終わりなのではないかという恐怖もある。そんなぼそぼそとした弱音と愚痴を飲み込むように、夏が近づいてきている。エアコンのスイッチを押す。1年間休んでいたとは思えないほど、冷房の風は確かに冷たかった。