扉の前で

一日中空腹感が起きなくてヤバかった。昼ご飯は夕方、半ば無理やりにカップ焼きそばを食べて、夜はで出前で頼んだカツ丼に、味噌汁を作って食べた。豆腐も食べた。昼頃、近くにある自立支援系の相談センターに行ってきた。暗くしたくないからさらっと言うんだけれど、この前ADHDの検査を受けてきた。発端は去年の春、会社のストレスから鬱っぽくなって精神科に行った際、ADHDなのではないかと、本当に生まれて初めて診断されて、しばらくは全くピンと来なかったものの、それから違う病院にも行っても同じように言われて、診断のシートを書いたり、自分なりにネットで調べた結果、それまで仕事で上手くいかなかったり、生活で不便が起きることに対して、ピタリと症状がどんどん当てはまっていき、徐々にだけれど、その英語4文字が頭に馴染んできた。発達障害。調べれば調べるほど、自分の脳について考えれば考えるほど、発達障害の「障害」の2文字がのしかかってきて、ゆっくり頭が真っ白になっていく感覚があった。そして「自分はまともじゃない」「まともに生きれない」という気持ちが強くなり、それ以前から低かった自己肯定感がすり減るスピードは加速度を増した。いや、今だって増し続けている。その後薬も飲んだけれど効果もなく、病院の先生とも合わずで、しばらくして通院もしなくなり、半ば放置していた状態だったけれど、結局仕事も上手くいかず、最後は人間関係のストレスで体を壊して、仕事を辞めるに至った。ADHDに関して今まで書かなかったのは、単純に話題としてセンシティブでごく親しい人にしか伝えるべきじゃないと思ったのと、主催を抱えている手前、もしかしたら信頼に関わるのではないか?という思いから伏せていました。ただ、現在就活の足を止めている一因として、これが間違いなくあって、就活の話題を展開したり相談したりする中で避けて通れない要素だなと思い、今これを書いています。今日もその相談をするために施設に出向き、社会福祉士の人(名前は知ってたけど、こういう仕事するんだと初めて知った)と面談をした。病院での検査は、割とお金も時間もかかったくせに「傾向がある」とだけしか教えてもらえず、その不安もあったからの面談だったんだけれど、検査に関しては「ちゃんと教えてもらった方がいい」と言われて、改めて、それはそうだよなと思った。これはマジで絶対おかしいと思うけど、結果を受け取るとき、検査した先生もおらず、詳しい数値すら伝えられなかった。教えて欲しいと言ったら「次のときに話しましょう」と言われてしまった。この先生もそうだし、去年何件か回ったときも、やたら雑というか、淡白な対応をされることが多く、精神科ってこんなものなのか?と今や大分不信感がある。あるところでは、1か月通った結果「ADHDかもしれないですね」と「かも」という推定をはっきり告げられて眩暈がした。自己診断によるところが大きく、正確に判断できるものではないにせよ、その「かも」の次を知りたいのに、どうして教えてもらえないのか。こちらがどれだけ不安で不安で仕方ないと思っているのか。今回の面談で別段何かが解決したわけでもないけれど、去年から今に至るまでの不安を割と整理して話せたのは良かった。仕事を辞めて転職活動を始めて、最初は病気のことは考えず(デメリットにしかならないとも思ったので)やっていたけれど、しごとセンターでそのことを言ったときに「ちゃんと診断したほうが楽になるかもしれない」という一言を受け、上記の検査に至った。そして、改めてどう仕事に向き合っていくのか、今対峙をさせられている。何とか自分のできる仕事を探すのか、あるいはそっちに配慮を大きくされた専用の仕事を探すのか。まだ正直、自分の脳がどの程度実力を有しているのか把握できていないし、もしかしたら本当に何もまともに出来ないかもしれない、だから仕事を探しながらも、常に陰がつきまとって足が前に進まなくなる。一歩進んでは三歩下がり、木陰で横になるような毎日に、故になってしまっている。今更というか、何を急にそんな話をという感じかもしれませんが、ひとまず、今こんな状態だという話です。早いこと、選択および行動をしていかなければ。太陽が昇る時間にも、限りがあるのだから。