未完成の夜

夜から大喜利の予定があったので、昼のうちにガガっと応募を完了させた。いまだに、うおらあああ!って相当気合いを入れないと応募が出来ないのマジでヤバいなと思うんだけど、本当に働く気力が無いわけではなくて、現在位置と働いてる位置とがあって、その間の手続き、書類、面接、という「自分を見られる」というフェーズが嫌なだけで、そこがずっとネックなんだと思うんだけれど、1か月経った今も解決策はとんと見つけられていない。夜になって久々にボケルバに行った。生大喜利は最近3回目くらいで、やっとボードを持つ手も馴染んできた感はあったけれど、大喜利自体は不発で終わって何ともという感じだった。久々に会った人も結構いて、まだなんとも言えない状況が続くものの、4月以降やっていける範囲でやっていければな~と何とも言えない顔で思った。仕事の話も少しした。「4年間働けたのは良いことだ」「もっと一瞬で辞める奴もいる」と言われたんだけれど、確かに「4年」という数字は数字として確かなものだけど、自分の中のその「4年」は「何も出来なかった4年」であって、成功体験として数えられないからそう思えない。キャリアアドバイザーの人にも、自分を認める作業をしたほうがいいと再三言われたものの、こと仕事に関しては「失敗」のイメージが強すぎて、だから次へのイメージが浮かばない。「4年間働きぬいた」のではなく「4年間何も出来なかった」がどうしてもそこに在る。帰り道、大喜利でウケなかったってのもあって、不意に「自分が今何も生み出していない」って気持ちが過ぎって、夜道で絶望がボディブローのように入って来た。それに対して自分でフォローできる材料も手元に無く、逃げるように家に帰り、0時を過ぎゆく時間に急いで晩御飯を作った。餃子を作った残りのニラがあったので、卵焼きに入れてニラ玉に似た食べ物を作った。そのニラ玉になりきれない食べ物を見て、何にもなれていない自分を想った。立派な代物にはなれなくても、せめてニラ玉にはならないといけない。自分をニラ玉に成しえていないものとは何だろうか。そこまで考えて自分でよく分からなくなって眠った。ニラ玉もいつかちゃんと作ろう。