優しさについて疎い

年明けにヤバい仕事の案件を抱えることになり、相当憂鬱になった上に、個人的にちょっと嫌なこともあって、金曜の夜なのに泣きそうな気持ちで帰宅した。そのまま、たまに発作みたいに襲ってくる「自分めちゃくちゃ嫌期(いやき)」に突入してしまい、耐え凌ぐのに必死になった。自分がイヤになって、その上で、どうして周りが自分なんかと居てくれるんだって疑問に突き当たる、これもいつものパターンだった。愛されてる、ってよく言われるんだけど、いまだにその理由がはっきり分からなくて(言語化が出来なくて)うまく受け止められないでいる。社会的な能力に著しく欠けて、コミュニケーションも上手く取れない、ネガティブで、何より性格も良くないと来ていて、自分のどこを見て言っているのか、自分の内側から見た自分はこんなに汚れているのにって、言っても仕方無いけど思う。何ならそういうタイプの人って絶対性格良いはずなのに、そこが全然噛み合ってないのが一番の要因かもしれない。人にやさしく。そうありたいと何度願ったことだろう。

 


人にやさしく

 

「期待外れの言葉を言うときに、心の中でガンバレって言っている」なんて、なんて優しい言葉だろう。ブルーハーツハイロウズクロマニヨンズも聴いたけど、その優しい言葉を何百回と聴いたけど、全く優しくなんてなれなかった。これから例えばめちゃくちゃ頑張って、人として真っ直ぐになれるのかどうか、自信は全然無いけれど、せめてかけてもらえる言葉を無駄にしないようには生きていきたい。もうすっかり慣れてきたカレーを食べながら、最低な自分の最高の明日について想った。今週は全く外で人と会っていなくて、それも憂鬱を助長させたのかもしれない。明日はスプシのデレマス大喜利、日曜はM-1を人と観る予定がある。いずれも最高の予定には違いないから、アゲていきましょう。大丈夫、案ずるより未来は明るい。