錆びさせない、カビさせない

昨日のピーマンの肉詰めで火がついたのか、今日はカレーを作りたいなと思いながら仕事をしていた。あいにくちゃんとした鍋はないけれど、フライパンでもサッと作れるの知って、帰ってカレーを作る、始めて一人でカレーを作るぞ、と思っていたのだけど、帰りの電車内でTwitterを見てたらボケルバがキャンセルで1名枠が空いたとのことで、大喜利したくなって大喜利しに行きました。カレーはまた後日作ります。


ボケルバは、よく会うおなじみのメンバーに加え、自粛期間で会えなくて会いたかった人と会えてかなり良かったし、その人らが面白くて良かった。自粛期間が少しずつゆるくなり、こういう回収みたいな機会が多くなってきている。

 


FF6 仲間を求めて

 

まるで離れ離れになった仲間に会うような。FF6の、世界が崩壊して以降のBGMを何となく思い出した。会いに行くし、会いに来て欲しいと切実に思う。会終わりで打ち上げにも行って、最近の大喜利会の動向とかの話をした。少しずつ会も起こり、今週日曜も大喜利会をやるけれど、全体として盛り上がって欲しいと思う。特に最近大喜利を始めた人、しばらくやってなかったけど最近熱がある人には、大喜利を楽しんでもらいたいと思う。情勢を見つつ、が枕詞になってしまうけど、場を提供していければと思う。楽し過ぎて、健康になるぞといったのにまたレモンサワーをぐびぐび飲んでしまったし、全然大丈夫だと思ってたら終電逃してタクシーで帰るやつをやってしまった。阿呆である。


ボケルバ最後のトーナメントで、めちゃくちゃ優勝しにいったらあっさり負けてしまった。しかも、明確に「ここで負けた」という敗因があって、尚更しんどかった。歴を重ね、今日だって周りを見渡せば自分より歴の若い人ばかりで、そこの活躍が刺激にもなるんだけど、同時に自分を追いたてる要因にもなって。今日というか、ずっと割と思ってることだけど、長くやればやるほど、説得力が求められる場面も増えるし、単純にはしたない姿は絶対に見せたくないなって気持ちも強くなる。カッコいい背中を、とは思わないけど「おもしれ~」って思われたいって、やっぱ、ジジイだからこそ思う。自分の大喜利というのが、他に比べてすごく個性があるとか、特筆すべき部分みたいなものがあると思えないし、バチッと勝つことが、やっぱ一つ分かりやすいことだなとも思うし、だからそれで勝っても「勝って凄い」にしかならない、大喜利を褒められることはおよそ無いんだけれど、ただのクソジジイになり下がりたくない、おもれージジイになりたいって、こうやって負ける度に強く思う。負けたとき、一番勝ちたいと思う。主催をやる場面が増えて、それを取り上げて頂けるのはありがたいんだけれど、大喜利でバッチリやりたいので、バッチリ見てもらいたいので。次はやってやります。やり続けます。おりゃおりゃ。