最後の挨拶、的な

朝少し寝坊してしまって、駅までダッシュしたらめちゃくちゃ気持ち悪くなってしまって、しばらく荒い息を吐いてやり過ごしたあと水を買って飲んで一息ついた。珍しい体験だったので、終わったあとじわじわ怖くなってきて、急いで検索したら「自律神経」の文字が出てきてさらに怖くなった。そういえば、足の筋肉痛があとを引いているのも変だし、当てはまる症状もある。本格的に怖くなってきたので、ちょっと1回病院に行ってみようと思います。無事であってくれ。


会社終わりで、シャニマス好きの大喜利の人とフクワケで飲んだ。
フクワケ閉店までに行っておこうというのと、シャニマスの話がしたいよねってのが重なっての会で、その通りにめちゃくちゃシャニマスの話をして飲んだ。朝のことがあってお酒もあんまりにしようと店に来る前までは思っていたのに、結局レモンサワーをたくさん飲んでしまった。人といると楽しくなって自然にお酒が進んでしまう。数年前までは、人と飲むときは大体が大喜利の話ばかりしていたので、最近アイマス関連の話をすることが増えて面白い。趣味が増えると話が増える、話が増えるとお酒も増える。少しキングオブコントの話もした。空気階段の2本目のネタがやっぱり好きだって話をした。感想でも書いたけれど、最後に「美女と野獣」とか、あるいは「紅の豚」みたいなキレイな展開にも出来ただろうに、おっさんをそのままおっさんで終えたのが、やっぱり好きだなということを話した。フクワケを出るとき、お店の人に「いつも喋ってる大喜利って、何ですか?」と引き留められてびっくりした。趣味で集まってやってるんですみたいなことを返したけれど、確かに「趣味で集まって大喜利をしている」ってパッとイメージできないのは、そうなのかもしれない。たまに議論がされたりするけど、大喜利というか、大喜利会としての大喜利(自分たちが普段やっている大喜利)を多くの人に知ってもらいたいという話。もちろんその気持ちはあるけれど、僕個人としての想いとしては、その為に直接何かやるのは実際難しいし、1個1個の会を盛り上げて、新しい人を増やして、その積み重ねの先で外の風が吹いたときに、胸を張って「こんなことやってます」と言えるような世界を置いておくのが自分の出来ることなのかなってのがあります。一つの文化が成熟していくのって、何十年かかるようなレベルの話だと思うし、まず目の前の大喜利を面白くするかどうかなんだろうなと。消極的って言われたらそうかもしれないけれど、思ってますね。いつかフクワケの人の耳に大喜利が届く日が来るのか。来たら、面白いですね。


また話がデカくなったので小さい話をするけど、居酒屋に「ごはんセット」ってたまにあると思うんですけど、あれ僕は基本めっちゃ頼みたいんですよね、ごはんと味噌汁食べたいし、居酒屋でみんなで何か突いててもお腹満たされないから、目の前の飯を食べたいんですけど、なんか自分だけ食べるのもすごい悪い気がするし、運ばれてきたときに確実に浮いて「あ、こいつすごい食おうとしてる」って思われるのも恥ずかしくて、結構勇気を出してやっと頼めるくらいなんですけど、ごはんセット、頼んでいきたいよな、ってごはんセットを頼めないときに毎回思ってしまう。今日も一瞬過ぎったけど頼めなかった。ごはんセット頼みたくないですか、っていうか、頼んでいいですか?実際。ご意見待っております。おやすみなさい。