グラスを人数分下さい

今日は人に誘われて二日連続の大喜利会。
主催だとやっぱり大喜利に集中しきれないので、楽に大喜利できる機会を貰えてありがたい。あと、単純に会に誘われるということも嬉しい。これはどれだけ歴を重ねてもずっと嬉しいと思う。むしろ歴を重ねた状態でも「呼ばれる」ってことが嬉しさでもある。真面目にやってきて良かったと思える。僕は真面目にしかできないから、こういう機会で小さいガッツポーズをして生きている。会は、めちゃくちゃ久しぶりに大喜利で会う人がいて、しかも僕が「見たいな」と思ってる人だったから最高だった。好きな人の大喜利を見るのを素直に楽しいと思えるようになったの、生大喜利始めて数年経ってからだなって思う。それ以前は自分の大喜利でマジでいっぱいいっぱいで、全然周りを見えてなかったって、そうじゃなくなってから思ったし、周りが見えるようになってから自分の大喜利の伸び率も上がった気がする。平凡なアドバイスで申し訳ないけれど、自分の成長率に疑問を感じたりしている人は、周りの大喜利を見ていくと気づけることがあると思います。「この人のこれ面白いな」とか「これやってるから面白いんだ」とかを見つけて、その上で「こうしてみよう」と色々動いてみると、自分の出来ることが増えるし、出来なくても、出来ないことが見えて結果タメになるはず。

急にジジイのアドバイスタイムになったので話を戻して、会は楽しかったし、そのあと打ち上げで飲んで、さらにサイゼにも行ったんだけど、そこで面白い話も聞けて良かったです。学生お笑いやってる人がいて「自分は大喜利やる前はあんまりネタも跳ねなかったけど、大喜利して大喜利の人に評価されて、自信持ってネタ作ったら結果が出た」というような話をしていて、かなり良かった。こうやって、誰かの人生の何かに自分が作用できたらどんなに良いだろうかって思う。基本、自分の人生は平凡で、この先何か大きいものを何も残せないだろうなって思うし、でも、何も残せないまま死んだら自分の人生って何なんだろうって、何かできたらいいなって、これは昔からたまに考えるんだけど、人と関わって、その人の記憶の中、人生の中で強く生きれたら、それが繋がり繋がって、自分の人生のあとも、自分がどこかに残るんじゃないか、残ったらいいなと思う。暗い話じゃなく、前向きの話として、これは思っている。サイゼのデキャンタワイン、人と来ると結構飲んだりするけど、デキャンタワインが好きというよりは、サイゼで人と飲んでいるデキャンタワインが好きかもしれない。短縮営業が無くなったら、サイゼでもっと人と話したりしたいですね。


コントローラーをAmazonで頼んで、それが明日には届くので、連休最後はめちゃくちゃパワプロできるかもしれない。めちゃくちゃできてくれ。