虚と実

昨日深夜まで映画を観てお酒を飲んだにしてはちゃんと起きれて、家賃の振り込みや公共料金の支払いなど、月の行事をこなした。ゆうちょのATMの暗証番号をだいぶ前に間違えてロックされてたのを思い出して、暗証番号の照会手続きもした。まだやっていないだけで、こういう「そのうちやろうと思っていて、やっていないこと」が自分にはたくさんある。この数がどれだけ少ないかで、人間の価値がある程度計れるのかもしれない。昨日の「何者」を観てた余韻が残っていて、自分の価値についてずっと考えていた。主人公たちがSNS上で「虚像」の自分を作って演じたり、その上で「自分だけは賢い」と俯瞰しようとしたり。その姿を観て、果たして自分は「自分」を作り過ぎてはいないか?と思った。キレイな言葉を並び立てて「良い人間」「多感な人間」「熱い人間」に見せようとしていないか?と思った。この日記で暗いことを書くと、たまに励ましの言葉を貰うことも(本当にありがたいことに)あるんだけれど、その度に「そんなわけが無い」と否定してしまう。あなたが見ているのは、僕が作った「良いように見える人間」であって、僕本人じゃないと首を振ってしまう。自分は、自分について詳しいからと。30年見てきたものがあるからと。現に、今ここで息をしているのは、職を失った、何一つ手に持っていないことに気付いて愕然とした、その表情をフリーズさせたままの人間でしかない。それ全部込みで「作った自分」込みで自分、という見方もできるかもしれないし、もしかしたら他の人はその上で強く生きているのかもしれないけれど、まだ自分にはできる気がしない。「良い人間」人からそう思われる人間になりたかった人間、ひどく未完成なまま、5月が崩れていく。