糧と過程

仕事前最後になる大喜利放送の準備を日中行って、放送までやった。仕事始まるのも踏まえて隔週に変更したけれど、実際、仕事やりつつ毎週放送なんてとてもできない気がするから、早めに決めて良かったと思う。というか、隔週でもやれるのかどうかも、やってみないと分からないかもしれない。実際どれだけ生活が変わるのか、本当にやってみないと判断がつかない、あまりに社会から離れ過ぎているから、こんなことになってしまった。音楽のお題を出したら、自分が音楽好きなのもあって、普段より楽しく放送出来て良かった気がする。こんな放送でも、誰かの生活の糧になっているんだろうか。なってくれたらどれだけいいことか。自分で勝手に辞めて死にかけたくせにおこがましいけれど、転職祝いにと、欲しいものリストを公開したら、ありがたいことに続々と届いて本当に泣いてしまいそうだ。どうしてこんなカスみたいな人間の周りに、こんなに優しい人がいるのか、とんと分からない。マジでありがとうございます。6月はマジでカツカツの1か月になるから、このギフトで生きていくしかない。何を恩返ししたらいいのか考えながら、真っすぐに生きていくしかない。