門出を見守る

ネット大喜利の知り合いであるHsさんが、三重から受験で東京に来るということで開かれた大喜利会に参加してきた。Hsさんが呼んだ人を始め、相当な数の人が集まっていて、個人的にも楽しみな会だったんだけれど、Hsさんも最初から最後まで大喜利し通しでもずっとウケてて凄かったし、参加者も全体的に跳ねてて、会としてめちゃくちゃ盛り上がっていて良かった。Hsさんには是非とも受験に成功して貰って、来年以降、こっちで一緒に大喜利できたらそんなに嬉しいことは無い。出来ることとしては、祈ることしかないけれど、祈れる限り祈らせてもらいたい。自分の大喜利としては、ただこれはあんまりパットせずという感じで、先週の組手を経て、まあ結局こんなもんなのかと思ってしまった。最近、歴的に新しい人をウケを見ると明確に焦る瞬間があるというか、長くやっている、その「長さ」以上のものを叩き出せているかは、本当に意識する。いや、意識しないといけないと思う。そこに自分の大喜利が「ある意味」がなかったらもう、居る意味が揺らいでくる。「ただ、居るだけの人」にはなりたくないし、なったら終わりだとも思う。組手をやって、まだ勝つことは叶うとは思ったけれど、勝った先のものは無かった。自分じゃなきゃできない大喜利がしたい、それがこの先出来ないならば、本当にどうしようか。こうやって延命みたいなことを繰り返していて、誰の記憶に残るのか。そんなことを考えてたら落ち込んできて、打ち上げもなかったので、奮起する意味で夜は家で鍋を食べた。鍋は色んなことをリセットしてくれる。何故かフライドチキンも食べてしまった。健康的には強めの黄信号だ。明日は生まれて初めて競馬場に行く。うまいこと気が晴れてくれればいいのだけれど。