この夜だけは

誕生日記念の大喜利組手の会をネイノーさんが開いてくれたので、誕生日にめちゃくちゃ大喜利で闘ってきた。昼は何かちゃんと食べようと思っていたのに、結局時間が無くておにぎりだけになってしまった。体力勝負でもあるのに、これは良くない。組手のルールとしては、お題のヒントを元に挑戦者側がお題を選択、3分やっての印象評価。僕が勝ったら、挑戦者の人が持ってきたプレゼントを貰えるという形式だった。相手の数は35人(のち刺客枠5人)7人ごとの5パート。間のエキシビジョンを除いて基本的には連戦になるから、結構ハードっちゃハードなものとはいえるけれど、体力はそんなに心配はしてなくて、ただ単純に勝負としてずっといい試合ができるかといったところが不安だった。誕生日とはいえ、せっかく集まって貰ったのにぐずぐずになったり、負けまくったりしたらそれこそ申し訳無くて落ち込んでしまうと思い、空気として「もたせられるかどうか」は意識していた。あと、生大喜利においてはスロースターターの自覚があって、最初にどれだけエンジンがかけられるかとか、負けが込んだときにメンタル的に立て直せるかとかも大事だった。とにかく来てくれた人に残念がられないようにしたいという気持ちと、それとやっぱり、自分の大喜利が枯れていないことも確認したかった。別に何の節目ってわけでもないけれど、こと生大喜利に関して頭打ちなのも感じているので、今日を通して何か見つけたかった。最初の相手がこの前通話したFANさんで、その中で「最初とかありえるかもですね」みたいな話をしていたのでちょっと面白かった。初戦にしては強過ぎる相手だったので、自然ギアが入り、ここを勝つことが出来たし、それを皮切りに4連勝できて、かなりホッとした。とりあえず負けっぱなしの開幕ダッシュだけは避けることが出来た。ただ、やっぱりそうそう上手いこといくわけもなく、そのあと連敗して、連敗してるとき気持ちしんどいだろうなと思ってたけど、やっぱりしんどかった。このまま勝てなかったら?という気持ちが過ぎったし、1個勝ったら立て直せたりもした。振り返ると、ひたすらその連続だったような気がする。ぺるとも組手を見ていて「劣勢のとき、いかに切り返すか」ってのが重要だなと思っていたんだけれど、自分的にはうまく出来たときもあるし、そのままころっと負けたときもあって(多分だけどこっちのが多かった)あんまり「強さここにあり」みたいなのを見せられなかったのは悔しい。自分の中で勝手にあった「ここに勝てれば嬉しい」ってところも大体取れなくて、最終的に20勝15敗と勝ち越せたものの、勝ち越すのは大前提だと思ってたし、ギリギリな試合も数あったので、贅沢というか何というか、キリがないとは思うけれど「もっとできたはず」な瞬間はあったから、トータルでは悔しい気持ちが残る結果ではあった。過去に組手をやった人が、好成績を残しつつ「まだやりたい」とコメントしてたのが、終わったとき凄く理解できた。ただ、最初にあげた「もたせられるかどうか」という課題だけはクリアできて良かったと思う。大喜利の話はそれくらいにして、結果として両手で抱えきれないくらいのプレゼント(食料品からカードゲーム、服や皿など、多彩過ぎた)を貰い、本当に感謝してもし切れない思いだった。そもそも、自分なんかの誕生日にこれだけの人が集まってくれているのが異常だと思うし、最初から最後まで、そして今だって、理解は追いついていない。これだけの人に祝ってもらえるような価値のある人間とはとても思えない。人に助けられ、支えられて生きているなと改めて思う。ありがとうございます、と何人に何回言えば良いんだろう。どれだけの声量で言えばいいんだろう。人生使い切っても、喉を枯らし切っても、足りるかどうか到底分からない。組手終わりでは打ち上げでちばちゃんに行き、久々の大勢での飲み会を堪能した。かにちゃんが芸人のネタを韻マンみたいに爆速で引き出したり、電子レンジさんがからしを食べて泣いて、疲れて寝ていた。めちゃくちゃに笑った。泣くくらいに笑った。こんなにめちゃくちゃに笑える空間に居れる人間で良かったと心から思った。人生の、おそらく今がかなりしんどい時期なのは自覚しているけれど、この瞬間を味わえるのなら生きたいと思った。生きなければと思った。今日も闘ったMAさんが最初に生大喜利に参加したのが35のときと聞いて感慨深かったけれど、何かを始めるのに遅すぎることはないという言葉もあるように、まだここから人生に復帰できることを信じたいと思う。これがトンネルなら、出口があると思いたい。これがもし行き止まりでも、隠し扉があると思って壁を叩きたい。充電できているかギリギリの、赤い電池表示を自分の体の中に見ながらビールを流し込んだ。今日この日が新しい自分の誕生日になりますよう、来年は笑えていますよう。楽観的に、この夜だけは。この夜だけは。