見知った空の色

久々に何もない土曜日だったので、書いていない分の日記をまとめて書いたりした。昨日会った人に、最近日記を毎日更新しなさ過ぎる、毎日書いて欲しい、とかなり言われてしまって、確かに溜めることが増えてきて申し訳ないは申し訳ないと思うけど、こうして1日1日その日のことをちゃんと思い出して書き綴っていることは、ちょっとは評価してくれても良いのではないかと思う。もちろん日記だから毎日書くのが一番良いのは、まあそうなんですけれども。そんな今日の夜は米が切れていたので焼そばを作って食べた。それだけなら大分節約にもなったのに、物足りなさを感じて衝動的に唐揚げポテトセットみたいなのを買ってしまって、全然これはダメだった。ストイックに焼きそばだけ食べて終われば良いのに、欲を捨てられないのが僕のダメなところだ。そして今日はスプレッドシート大喜利などをすることもなく、風呂に入って映画を観て寝た。

 
同タイトルの詩集を原作にした映画で、それぞれに孤独を抱えた主人公の男女が東京の街で出会い、ぎこちないながらも心を通わせていく様を描いた映画。親を子供の頃に無くして、今も看護師して多くの死に寄り添う内に孤独を抱えることになった美香と、日雇い労働者としてギリギリの毎日を生きる、コミュニケーションに難があって社会に適応できない慎二の2人が、お互い言葉にできない孤独をぶつけ合うように、少しずつ相手を通して毎日を愛していくようになるのが、心に染みて良かった。どこまでが詩の言葉化は分からないけれど、作中の台詞回しが全体的に印象的で、原作の詩集の世界観を守るように作ってあるようにも感じた。脇役の、松田龍平市川実日子田中哲司などの好演も光っていて、静かに厳かに進んでいく物語を彩っていた。田中哲司演じる、慎二の同僚の作業員が呟いた「恋してやるんだよ、ざまあみろ」と救われない毎日の中で、神様にでも言うようなセリフが強く印象に残った。最早、天に中指を立てる気力も今は無いし、おおかた自分が救われないのは自分のせいだから、それを言うのは違うかもしれないけれど、言えるものなら言ってやりたい。神様は自分を見捨てているかもしれないけれど、まだギリギリ生きている。ざまあみろ。と。