電話線の向こう、憂鬱の向こう

昼に起きて、ご飯を食べて作業して、そのあと夕方まで寝てご飯を作る。というリズムが完全に完成され始めて、完全に完成されてしまってはいけないとまた警鐘が鳴っている。前に無職の時期があった知り合いも、大体そんな感じになっていくみたいな話もしてた気がするんだけれど、長引けば長引くほど心も体も静かに壊れていく気がしてならず、果ては電極でもぶっ差してでも体に刺激を与えて止めないといけない。まず朝起きるところとか、リアルに直さないとまずい気がガンガンにする。せめて、ってこれも定型句になりつつあるけれど、せめて食で徳を積もうと夜はサバを焼いて食べた。流石に、こう何回も何回もサバに頼ってはサバの価値も暴落するというもの、そろそろ別のものを探さないといけない。惰性のサバに何の救いがあるだろう。夜、この前Twitterで連絡があった大喜利の知り合いと「今まであんまり大喜利以外の趣味の話をしてこなかったから、しよう」というコンセプトのもと、2~3時間ほど通話した。映画の話、音楽の話など、本当に今までしてこなかった話が出来てかなり楽しかった。勧められた映画をアマプラのウォッチリストに放り込み、勧められた音楽をYoutubeで検索した。前も書いたけど、今は人と話しているその“瞬間”だけは気持ちが和らぐから、通話や会話が一種の麻薬みたいな存在になりつつある。だから、それが切れた瞬間に強い虚しさが襲ってくるのかもしれない。そう書くと、先に待っている結末は暗いものになってしまうけれど、今はでもとにかく人の繋がりは大切にしたいし、正直いつ見限られてもおかしくないというか、もう見限られ始めているのではないかという気持ちも冗談じゃなくあるけど、だからこそ人の求めるもには答えたいし、出来うることなら何かを与えたりもしたい。無職生活がくれたのは、圧倒的な無価値感で、最近本当に息をするごとに自分の価値が消えていく感じがあって、話を戻すけれど、それが人と話している“瞬間”だけは感じずにいられる。ここまで書いて、かなり限界の文章に思えてきたので筆を置きます。ともあれ、楽しく会話できたのは間違いなく、こんな重いこと書いた上であれなんですが、気軽に声をかけて欲しいですね。笑いたいので。