秒針はしばらく動いたのち

月曜はめちゃくちゃ意味深なこと書いてすいません。本日水曜、父親の葬儀を終えて帰ってきました。知らせが入ったのが月曜のスプシ大喜利終わりのときでかなり動揺したんですが、調子が悪いのは前から知っていたのと、いつか来るんじゃないかという精神的な心構えは割と前からあって、すぐに受け入れることはできた。昨日の夜頃帰って通夜、今日の朝から葬儀という流れだったんだけれど、通して身内のみの式で、人数少ないながらも全然全く会っていない親戚と会うのが正直怖いというか、ほとんど交流が無いから「どうして東京にいるんだ」という石の一つでも投げられる覚悟だったものの、昔話を幾つか投げられた程度で済んでそこはホッとした。兄と十年、でもきかない、15年以上ぶりくらいに会って、最初顔と声が一致しなくて焦った。しばらく声を聞いて「ああ、こんな声だった」と自分の中で止まってた時計の針がグッと進み、変な気持ちになったりもした。夜は葬儀場に泊まったんだけれど、母親と親戚のバトルみたいなことがちょっと起こったりして、ああ、こういうの本当にあるんだと思いながら(「故人が集めてくれたんだから」ってセリフがすごくドラマじみていた)しんどくてその夜は全然眠れなくて、結局ほとんど一睡も出来ないまま朝。葬儀、そこからの出棺と、ずっと悲しみより緊張が勝ってきて「ミスをしたらどうしよう」とそればかりに意識が行っている自分がどうしようもなく小さくて、こんなところで何をやっているんだろうと思った。知らせを受けたから、今これを書いているときも、また大きい実感というのが来ていなくて、たぶん一緒に暮らしたのが大学2年で一人暮らしする為に家を出るときまでで、たまに帰省したり病気のお見舞いに行ったりした程度の距離感だったから、それで薄くなっているのかもしれなくて、そこもなんだか自分が冷たい人間のように感じて焦りのような悔しさのような、よく分からない気持ちで今も居る。出棺に向かう際、母親が運転する父親の車に乗ったとき、後部座席に父親の被っていた帽子があって、そのとき感情が動いたのはすごく覚えている。消えていったものを一番感じるのは、残ったものを見つけた瞬間というか、それを見て最近会うたび父親が老けていっていたなという記憶が蘇った。母親に関してもそうなんだけれど、両親に関してはどうしても小さいとき、一番過ごしたときの記憶が一番色濃いから、会う機会が減って久々に顔を見たとき、その昔の記憶との違いが一瞬飲み込めなくて違和感みたいなものを覚えてしまう。そして白髪とか皺とか、そういう細かい違いを一つ一つを見つけたとき、自分の中の時計の針が急速に進んで、その速さからか心がズキッと痛くなる。こういうのって、ずっと慣れないものなんだろうか。結局ずっと眠気と緊張に意識を侵されながら葬儀を終えて、ほとんどその足で帰りの新幹線に飛び乗った。会社からは何日か忌引きでの欠勤も勧められたものの、もともとの退職予定が伸びてしまうのと、転職活動がそれで伸びるのもまずいと思い、明日明後日の出勤で最後は変わらずとしていた。父親同様老け込んでいた母親への不安もあるし、初めて最初から最後まで葬儀を見守った疲れと、これからまた立ち向かわねばならない転職活動への怖れとで、明日の労働に全くピンと来ていないけれど、一つの大きい時間の動きを肌で感じたことで、より歩いていかなければならないと思った。進む。進めるならば。